「大野寺」の版間の差分

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{{日本の寺院
|名称 = 大野寺
|画像 = [[File:Ono ji Magaibutsu.jpg|240px|]]<br />大野寺より見た宇陀川対岸の弥勒菩薩]]石仏
|所在地 = 奈良県宇陀市室生大野1680
|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|34|33|45|N|136|0|56|E|region:JP-29_scale:10000}}
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|文化財 = 弥勒磨崖仏([[史跡]])<br />木造地蔵菩薩立像([[重要文化財]])
}}
[[File:Cerasus spachiana at Ono-dera 01.jpg|thumb|right|240px|境内の[[シダレザクラ]](小糸枝垂桜、樹齢300年)]]
'''大野寺'''(おおのでら、おおのじ)は、[[奈良県]][[宇陀市]]([[室生村|旧室生村]])にある[[真言宗室生寺派]]の寺院である。[[山号]]は楊柳山、[[本尊]]は[[弥勒菩薩]]、[[開山|開基]]は[[役小角]]と伝える。[[室生寺]]の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた弥勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。[[役行者霊蹟札所]]。
 
== 歴史 ==
[[File:Onodera magaibutsu.jpg|thumb|right|160px|弥勒磨崖仏(岩壁を光背形に彫り窪めた中に線刻されている)]]
宇陀川沿いの景勝の地にあり、近鉄[[室生口大野駅]]方面から室生寺へ向かう際の入口に位置する。伝承では[[白鳳]]9年([[681年]])、役小角(役行者)によって草創され、[[天長]]元年([[824年]])に[[空海]](弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという。役小角は[[修験道]]の開祖とされる伝説的要素の多い人物であり、空海が堂を建立との話も創建を宗祖に仮託した伝承とされており1、創建の正確な経緯は不明である。近くにある[[室生寺]]は[[興福寺]]系の僧によって創建・整備されており、大野寺の磨崖仏造立にも興福寺の僧が関係していることから見て、興福寺と関係の深い寺院であったと考えられている。
 
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== 建造物 ==
*本堂 - 本尊木造弥勒菩薩立像(秘仏)を安置する。
*地蔵堂
 
== 文化財 ==
*木造地蔵菩薩立像(重要文化財)-) - 鎌倉時代の[[寄木造]]の像で、無実の娘を火あぶりの刑から救ったという伝説にちなみ「身代わり地蔵」と呼ばれている。
*弥勒磨崖仏(史跡)
:宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれている。岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻で表す。前述のように、興福寺の僧・雅縁の発願により、[[承元]]元年([[1207年]])から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。作者は宋から来日した石工・[[伊行末]](いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられている。山城国[[笠置山 (京都府)|笠置山]]にあった弥勒の大石仏(現在は光背のみが残る)を模したものである。像の向かって左手の岩壁下方には円形の区画内に[[種子 (密教)|種子]]曼荼羅(尊勝曼荼羅)を刻む。

:石仏は岩盤からの地下水の滲出等で剥落の危険があったため、1993年から1999年にかけて保存修理工事を実施。岩表面の苔類の除去や地下水の流路を変える工事などが行われた。史跡指定名称は「大野寺石仏」
 
== アクセス ==
[[File:Cerasus spachiana at Ono-dera 01.jpg|thumb|right|240px220px|境内の[[シダレザクラ]](小糸枝垂桜、樹齢300年)]]
*[[近鉄大阪線]][[室生口大野駅]]より徒歩5分