「佐々木剛」の版間の差分

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Sagihiro (会話 | 投稿記録)
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[[1973年]]、[[近衛十四郎]]主演『[[素浪人 天下太平]]』([[テレビ朝日|NET]])で「うづ巻の勘太」役を演じる。以後、[[時代劇]]や[[刑事ドラマ]]へのゲスト出演多数。善悪問わず様々な役柄で俳優として活躍。
 
[[1982年]]、34歳。自宅で深酒をして(当時の)妻と泥酔して自宅アパートに帰宅し、ストーブを点けたまま寝入ってしまう。その上に洗濯物のタオルが落ちて延焼した事から失火、自宅アパート及び隣家が全焼する大火災となる。この火災で顔を含む全身の7割に及ぶ大火傷を負い、5度に及ぶ皮膚移植手術で一命は取り留めたものの、顔には俳優として致命的な傷跡を負う事となった。(当時の)も軽い火傷を負ったもの<!--「一文字隼人」p175。-->の、3人の子どもは妻の実家に行っていたため被害を免れている。回復後、仕事を[[声優]]活動に切り替え、「新人と同じ扱いでどんな仕事でもこなしていきたい」と望んだが、「ベテラン故に使いにくい」との理由で仕事は激減。新国劇の師匠からも「役者は諦めろ」と宣告され、長らく俳優業を離れることとなる。治療・入院のための借金返済と生活の維持のため、ちり警備員、チリ紙交換、焼き芋屋、竿竹屋などで日銭と職稼ぐ日々とる。
 
[[1984年]]、『[[10号誕生!仮面ライダー全員集合!!]]』(毎日放送)で仮面ライダー2号を演じるが、顔の火傷のため、声のみの出演だった。ただし、これは火傷を負って以降の後述する舞台復帰までの約10年間で数少ない正式出演依頼であった。[[1985年]]には『仮面ライダー大全集』([[講談社]]刊)収録の座談会に参加。モノクロ写真ながら久々にその姿を披露した。長髪に口髭を蓄え、指抜きのレザーグローブ、黒のレザーパンツで一見ワイルドないでたちだったが、{{要出典|実際は顔や手の傷跡を隠すためカツラを被り、苦肉の策の「佐々木剛としての扮装」だった|date=2013年11月}}<!--自伝「一文字隼人」、「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」など、氏のインタビュー掲載されている出版物を可能な限り調べましたが「カツラをつけて扮装」の記述は見当たりません。-->
 
その後、離婚やホームレス生活を経験、酒を飲んで暴れたり、一日中[[パチンコ]]屋に入り浸るなど、稼いだ金をその日のうちに全て使い切るような荒んだ生活を送るようになる。