「第十八富士山丸事件」の版間の差分

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一方、閔洪九は密入国容疑で収容され、[[福岡入国管理局]]から[[退去強制]]令書が発せられ、それに対する執行停止申立も東京地方裁判所で却下された。しかし「人道上の配慮」から北朝鮮へは送還されず、のちに放免された。[[大韓民国|韓国]][[国籍|籍]]を取得したが、[[1988年]]に[[法務省]]から異例の[[在留特別許可]]を受けて日本で生活していた。だが傷害事件などで度々逮捕され、[[2003年]]4月には[[栃木県]][[宇都宮市]]のデパートで女子高校生の体を触るなどの[[わいせつ行為]]をした疑いで逮捕・起訴された。実刑になれば[[出入国管理及び難民認定法]]第24条各号所定の[[退去強制]]事由に該当するため、日本国内から強制退去になる可能性があった。しかし[[2004年]]3月には留置場の金網を素手で破って一時逃亡を図るも、すぐ収監され、同年4月1日午後9時すぎごろに収容されていた[[栃木県警察]][[宇都宮中央警察署]]の[[留置場]]で[[首つり]]自殺をした。享年40。
 
[[2013年]]11月23日、[[NHK]]の報道番組において、かつて抑留されていた2人の最近のインタビューの映像が公開された。それによると、北朝鮮側が2人の家や間取り、家族などの情報を得ており、「家族が交通事故に合うこともありえる」というような脅迫をされていたことを明らかにしている。また、社会党が訪朝した時の面談の時の会話は、すべて事前に北朝鮮側から台本が渡されており、その通りの言葉以外は禁じされていたことも明らかにされた。
 
== 参考文献 ==