「ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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| 司教 =
| その他 =
| 本名 = オッタビアーノ
| 生年月日 = [[937年]]生
| 生地 = [[スポレート公国]](中部イタリア)スポレート
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== 生い立ちと教皇即位 ==
中部イタリアの[[スポレート公国|スポレート]]公[[アルベリーコ2世]]([[932年]] - [[954年]])とイタリア王[[ウーゴ (イタリア王)|ウーゴ]]の娘アルダとの子で、本名はオクタヴィアヌスである。母方の血縁により[[フランク王国]]の王[[カール大帝]]の7世代の子孫に当たる。父アルベリーコがローマ貴族に誓わせた誓約に基づき、[[955年]][[12月16日]]、18歳の若さで教皇に即位した。しかしその若さで教皇に就任できたのも家柄の良さによるものであって、必ずしも個人的資質や信仰心によるものではなかった。
 
なお、即位した時に初代ローマ皇帝[[アウグストゥス|オクタヴィアヌス]]に由来する自身の名を教皇名とする事を躊躇ったのか、新たにヨハネスと改名している。
 
== 教皇領拡大戦とオットーの戴冠 ==