「若月俊一」の版間の差分

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Baldanders (会話 | 投稿記録)
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文学や哲学に興味を持ち、[[マルクス主義]]に傾倒して職業革命家を目指した時期もあり、共産党からの入党の勧誘があったが直前で転向した。東京帝国大学分院外科、大槻菊男教授のもとへ入局。戦中は衛生部の[[兵士|一兵卒]]として満洲([[チチハル]])へ出征した。また工場での労働災害の研究活動が[[治安維持法]]に抵触したとして検挙され目白の拘置所に1年間抑留された。
 
大槻教授のすすめで1945年3月に長野県南佐久郡臼田町(現 佐久市)の佐久病院に赴任。戦後、[[労働組合]]を結成して委員長となり、461946年10月には「全従業員の投票」により院長に就任した。
 
== 地域医療の実践 ==