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編纂事業については、ガザン自身の口述の他に『黄金の秘冊(アルタン・デプテル)』と称されたモンゴル王家秘蔵の歴史書の閲覧を許可され、イルハン朝領内を中心にモンゴル諸部族集団で保持されていた伝承・旧辞・金言・系譜などに加え、中国やインド、フランクなどの様々な地域の知識人たちを動員して編纂が進められた。1304年にガザンが没したため彼は完成を見る事は無かったが、1307年にモンゴル帝国史の部分は完成し、『ガザンの祝福されたる歴史(Tārīkh-i Mubārak-i Ghāzānī)』と名付けられ、ガザンの弟でその後継者となった[[オルジェイトゥ]]に献呈された。ガザンの政策を受継いだオルジェイトゥは、引き続きモンゴル帝国と関わった世界各地の歴史を網羅するようこれらの種族の歴史も追加編纂するように命じ、[[1314年]]に完成して『集史(Jāmi` al-Tawārīkh)』と名付けられた。
==特徴==
『集史』の紀年法は、それまでのアラビア語・ペルシア語の書物と一線を画す表記法を採用している。主にモンゴル王族についての事蹟において書かれているのだが、まず、ウイグル暦と思しきテュルク語ないしモンゴル語による[[十二支]]年を置き、それのペルシア語による訳を附し、さらに季節とその月々の初・中・晩を述べて[[ヒジュラ暦]]による年月日、時には曜日が附される。これはモンゴル宮廷では[[天山ウイグル王国]]などの書記法を採用して十二支年が使用されていたことが反映された物である。『[[元朝秘史]]』や現在発掘されているウイグル王国起源の経済文書なども基本的に十二支年だけで記されているが、ヒジュラ暦や季月などを並記する事で絶対年代の年月日を特定できるよう配慮されている。
== 構成 ==
[[File:Alân Qû'â et ses fils.jpeg|thumb|260px|モンゴル族の始祖アラン・ゴアとその息子たち <small>後世の杜撰な修復が加えられているため、人物の顔立ちが他の挿絵と大分異なっている</small>(『集史』パリ本)]]
上述したように『集史』は二段階の編纂を経ているが、第1次編纂の折に完成したのが『ガザンの祝福されたる歴史(Tārīkh-i Mubārak-i Ghāzānī)』であり、それが改編されて『集史』第一巻「モンゴル史」となる。
====序文(Muqaddima-yi Mujallad-i Awwal)====
『祝福されたるガザンの歴史』が編纂された理由
====第一部(Bāb-i Awwal)(テュルク・モンゴル諸部族史)====
モンゴル帝国に征服あるいは帰順してモンゴル帝国を構成するテュルク系・モンゴル系の諸部族の来歴とその首長(アミール、ノヤン)たちの情報を述べた部族誌で、各部族はチンギス・カン家が属すキヤト氏族など、モンゴル部族連合を中心に族祖伝承や係累に基づいて4種類に分類している。
*第1章(Faṣl-i Awwal) - オグズ系諸部族(テュルクメンと呼ばれたテュルク系諸部族)
*第2章(Faṣl-i Duwum) - モンゴル語を話すテュルク系に属す諸部族
*第3章(Faṣl-i Suwum) - お互いに別個の支配者・指導者を有していた非モンゴル系諸部族
*第4章(Faṣl-i Chahārum) - モンゴル諸部族
**第1節(qism-i awwal) - ドルルキン諸分族([[コンギラト]]、コルラス、イキレス、イルジキン、ウリヤンキトなど)
**第2節(qism-i duwum) - ニルン諸分族(アラン・コアの子孫 チンギス・カンと系譜関係にあるモンゴル系の諸氏族)
====第二部(Bāb-i Duwwum)(チンギス・カン一門の歴史)====
チンギス・カン家の歴史で、チンギス・カンの祖先とその子孫について各々の[[本紀]](Dāstān)が設けられている。また本紀は基本的に以下のような三部構成になっている。
*各帝王[[本紀]](Dāstān)
**第1節(qism-i awwal) - その人物の妻や妃・息子たちとその系譜・系図・肖像についての説明
**第2節(qism-i duwum) - 本文
**第3節(qism-i sawum) - その人物や逸話や金言について
本紀のそれぞれの第2部・第3部には各々段(hikāyat)が設けられ、治世中などに起きた出来事について語られる。
また、主要な段には[[マーワラーアンナフル]]、[[イラン]]地域、[[ミスル]]など同じ時期の各地の支配者たちの動向についての情報が別項を設けて書かれている。
**序文
**ドブン・バヤン(Dūbūn Bāyān)紀
**アラン・ゴア(Alān Qūā)紀
**ボドンチャル(Būdūnjar)紀
**ドトム・マナン(Dūtūm Manan)紀(メネン・トドン)
**カイド・ハン(Qāīdū khān)紀
**バイ・サンクル(Bāī Sankqūr)紀
**トンバナ・ハン(Tūmbana khān)紀(トンビナイ・セチェン)
**カブル・ハン(Qabul khān)紀
**バルタン・バアトル(Bartān Bahādur)紀
**[[イェスゲイ|イェスゲイ・バアトル]](Yisūkāī Bahādur)紀
*第2章(Faṣl-i Awwal) - チンギス・カン裔諸本紀
**[[チンギス・カン]]紀
**[[オゴデイ|オゴデイ・カアン]]紀
**[[
**[[チャガタイ]]紀
**[[トルイ]]紀
**[[グユク|グユク・カン]]紀
**[[モンケ|モンケ・カアン]]紀
**[[クビライ|クビライ・カアン]]紀
**[[テムル|テムル・カアン]]紀
**[[フレグ|フレグ・ハン]]紀
**[[アバカ|アバカ・ハン]]紀
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**[[ガザン・ハン]]紀
=== 第二巻(Mujallad-i Duwum)(世界史) ===
[[ファイル:Mohammed_receiving_revelation_from_the_angel_Gabriel.jpg|thumb|240px|right|天使[[ガブリエル#イスラム教とガブリエル|ジブリール]]から啓示を受ける[[ムハンマド]](14世紀,[[エディンバラ大学]]所蔵『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画)]]
[[File:Jami al-Tawarikh 001.jpg|thumb|240px|right|「インド史」シャカ・ムニ伝(14世紀,[[エディンバラ大学]]所蔵『集史』アラビア語版載録の細密画)]]
第二巻(Mujallad-i Duwum)は世界史であり、第2次編纂にあたる。
*第1章 - [[オルジェイトゥ|オルジェイトゥ・ハン]]紀であったとされるが、これは現存しない。
*第2章 - [[アダム]]から預言者[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]を経て『集史』が編纂されたヒジュラ暦704年([[1304年]]-[[1305年]])に至る預言者たちの歴史である。これは[[サーサーン朝]]までのイランの諸王朝や、預言者ムハンマド、[[正統カリフ]]はじめ[[ウマイヤ朝]]、[[アッバース朝]]の[[カリフ]]たち、[[ガズナ朝]]、[[セルジューク朝]]、[[ホラズム・シャー朝]]、[[サルグル朝]]、[[イスマーイール派]]の[[ニザール派]]について扱われる。
**[[アダム]]および[[預言者]]の話
**ペルシア古代史(ピーシュダーディー朝から[[サーサーン朝]]まで)
**[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]伝
**[[正統カリフ]]史
**[[ウマイヤ朝]]史
**
**[[ファーテ
**[[イスマーイール派]][[ニザール派]]史
*第3章 - 諸種族史にあたり、オグズ・ハン以下のテュルク民族の伝承にはじまるオグズ史、中国史に相当するヒターイー史、古代イスラエル史、歴代[[ローマ教皇]]と[[フランク王国]]、[[神聖ローマ帝国]]の君主たちについて扱ったフランク史、[[釈迦]]伝を含む[[ヒンドゥスターン]]史である。
**[[オグズ]]史
**ヒターイー史(中国史)
**
**フランク史([[ローマ帝国]]、[[フランク王国]]、[[神聖ローマ帝国]]史
**
===第三巻(Mujallad-i Suwum)(地理誌)===
第三巻は地理志であったとされるが、これは伝存していない。
== 後世における『集史』の影響 ==
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