「ナショナル・ギャラリー (ロンドン)」の版間の差分

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ナショナル・ギャラリーの絵画保管について、第二次世界大戦集結直後に大きな議論が巻き起こった。主任修復家ヘルムート・ルヘマンが、第二次世界大戦中に絵画が保管されていた採石場での管理が適切だったかどうかについて疑義を呈したのである。そしてルヘマンによる戦火の汚れを洗浄修復された絵画が1946年に再公開されているが、大戦前に公開されていたときの絵画とは状態が異なっているのではないかという声が上がった。主な批判点は絵画を覆っていた[[ワニス]]の除去に対するもので、このワニスは19世紀に絵画表面を保護する目的で塗布されたものだったが、経年変化で黄ばみ、オリジナルの彩色を見えなくしてしまっていた。しかしワニスを除去したことによって全体の調和が損なわれ、画家たちが自身の作品に与えていた艶までも除去されてしまったと批判された。ヘルムートの修復手法に対しての異議を主導したのはロンドン大学の付属機関[[ヴァールブルク研究所]]教授の美術史家[[エルンスト・ゴンブリッチ]]で、後にナショナル・ギャラリーからの書簡がいかに攻撃的で傲慢なものだったのかを暴露した<ref>{{Harvnb|Walden|2004|loc=176}}</ref>。
 
ナショナル・ギャラリーは、絵画の作者特定の点でも批判されている。1939年に当時の館長ケネス・クラークは、ギャラリーが所蔵する作者不明の一連のヴェネツィア派絵画を、その作品数の希少性で大衆の関心を集めていたルネサンス期イタリア人画家[[ジョルジョーネ]]の作品であるとした。しかしこの作者特定は誤っており、クラークとギャラリーの学芸員の評価を落としている。近年では1980年に購入した17世紀の絵画『サムソンとデリラ』を[[ルーベンス]]の作品としているが、多くの美術史家はこの作品はルーベンスではないと考えており、ナショナル・ギャラリーは間違いを認めたくないだけだとしている<ref>{{cite web|url=http://www.afterrubens.org/home.asp|title=AfterRubens.org: The Strange Story of the Samson and Delilah|accessdate=2011-07-10}}</ref>。
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