「中日ドラゴンズ (ファーム)」の版間の差分

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== 沿革 ==
* {{by|1951年}} 遅くともこの頃までには名古屋ドラゴンズ二軍として結成
* {{by|1952年}} 関西ファーム・リーグに参加
* {{by|1953年}} 中日ドラゴンズに改称
* {{by|1954年}} 関西ファーム・リーグを脱退、中日ダイアモンズに改称し新日本リーグへ参加。静岡市を本拠とする
* {{by|1955年}} ウエスタン・リーグに参加
* {{by|1956年}} 再び中日ドラゴンズに改称
* {{by|1999年}} ナゴヤ球場へ本拠地を移転
* {{by|2006年}} [[岐阜県]]で毎年行われている[[JABAベーブルース杯争奪大会|JABAベーブルース杯争奪大会(通称:ベーブルース杯)]]に第60回大会から唯一プロとして参加する。
* {{by|2009年}} 地元・東海地方の[[社会人野球]]チーム・[[JR東海硬式野球部]]と[[長良川球場|岐阜・長良川球場]]で決勝戦を戦い、4対1で勝利しベーブルース杯初優勝となる。プロチームが社会人野球([[日本野球連盟]]=JABA)主管の公式戦で優勝したのは[[広島東洋カープ (ファーム)]]が[[JABA広島大会]](過去4回優勝)以来で、広島以外のチームが優勝するのも史上初のことだった。
* {{by|2009年}}[[9月9日 [[ナゴヤドーム]]で社会人野球チームで[[萩本欽一]]が監督を務める[[茨城ゴールデンゴールズ]]と試合を行った。これは同年4月22日に[[中日スポーツ]]創刊55周年のお祝いに[[中日新聞社]]を訪れた萩本が球団オーナーでもある白井文吾と会って計画を持ちかけたことにより、計画された<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/farm/list/200906/CK2009062402100006.html 決定!9月9日、欽ちゃん球団VS竜2軍 ナゴヤドームで午後6時から] - [[中日スポーツ]]・2009年6月24日の紙面より</ref>。当日は試合自体が公式戦でないため、試合中は萩本がいつものように場内マイクを使ったパフォーマンスが見られたほか、ヘルメットを被る事を条件に、事前募集により当選した一般客が1・3塁側のカメラ席で観戦するという企画も催された<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200908/CK2009081102000037.html?ref=related ナゴヤドーム初 カメラ席開放しちゃう] - 中日スポーツ・2009年8月11日の紙面より</ref>。試合は茨城ゴールデンゴールズが1点を先制するも、中日が3点を奪って逆転。そのまま5対1で中日が勝利した<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/farm/list/200909/CK2009091002000040.html 欽ちゃん劇場 茨城ゴールデンゴールズVS竜2軍] - 中日スポーツ・2009年9月10日の紙面より</ref>。また当日は試合の模様が[[三重テレビ放送|三重テレビ]]の自社制作で生中継され、試合が早く終了したこともあり、通常のヒーローインタビューに加え、萩本の要請により、敗戦者インタビュー?も実施された。
* {{by|2010年}} 社会人野球ベーブルース杯に連覇(但し、この年から同大会優勝チームに与えられる「[[社会人野球日本選手権大会]]」の出場権は規定により得られず、2位の[[西濃運輸]]が属する[[東海地方]]の出場枠が1つ拡大する)
 
== 監督・コーチ ==
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== 歴代監督 ==
{{節stub}}
監督職空席時の監督職に準ずる役職を含む<ref>参考文献:『中日ドラゴンズ70年史』(中日新聞社刊)208頁~227 - 227頁</ref>
* {{by|1951年}} - {{by|1955年}} : [[宮坂達雄]] (第1次)
* {{by|1956年}} - {{by|1958年}} : [[近藤貞雄]]
* {{by|1959年}} : 宮坂達雄 (第2次)
* {{by|1960年}} : [[濃人渉]]
* {{by|1961年}} - {{by|1962年}} : [[井戸大樹]]
* {{by|1963年}} - {{by|1966年}} : [[杉山悟]] (第1次)
* {{by|1967年}} : [[坪内道典]]
* {{by|1968年}} - {{by|1972年}} : [[本多逸郎]] <small>※1、※2、※3、※4</small>
* {{by|1973年}} - {{by|1975年}} : [[村野力男]] <small>※5、※6</small>
* {{by|1976年}} : [[森下整鎮]]
* {{by|1977年}} : [[服部受弘]]
* {{by|1978年}} : [[井上登 (野球)|井上登]]
* {{by|1979年}} - {{by|1980年}} : 杉山悟 (第2次)
* {{by|1981年}} : [[井手峻]] (第1次) <small>※7</small>
* {{by|1982年}} - {{by|1983年}} : [[法元英明]] <small>※8</small>
* {{by|1984年}} - {{by|1985年}} : [[高木守道]]
* {{by|1986年}} : 井手峻 (第2次)
* {{by|1987年}} - {{by|1989年}} : [[岡田英津也]]
* {{by|1990年}} - {{by|1992年}} : [[福田功]]
* {{by|1993年}} - {{by|1994年}} : [[島谷金二]]
* {{by|1995年}} : [[島野育夫]] <small>※9</small>
* {{by|1996年}} - {{by|1997年}} : [[正岡真二]]
* {{by|1998年}} - {{by|2001年}} : [[仁村徹]]
* {{by|2001年}} - {{by|2003年}} : [[大橋穣]]
* {{by|2004年}} - {{by|2006年}} : [[佐藤道郎]]
* {{by|2007年}} - {{by|2009年}} : [[辻発彦]]
* {{by|2010年}} : [[川相昌弘]]
* {{by|2011年}} : [[井上一樹]]
* {{by|2012年}} - {{by|2013年}}: [[鈴木孝政]]
* {{by|2014年}} - : [[佐伯貴弘]]
: <small>※1 1968年はチーフコーチ</small>
: <small>※2 1968年シーズン途中で1軍代理監督に転任</small>
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== 放送 ==
* [[スターキャット・ケーブルネットワーク|スターキャット]]など東海3県下の[[ケーブルテレビ]]局(2007年度~2011 - 2011年度。[[ナゴヤ球場]]・[[ナゴヤドーム]]で行われる試合を中心に年間数試合中継)
: ちなみに第1回目のナゴヤ球場で行われた試合中継の解説者は、当時昇竜館・館長で元中日選手の[[堂上照]]だった。スターキャットは自社のコミュニティチャンネル、他のケーブルテレビは[[東海ケーブルチャンネル]]を通じて放送している。
* [[スカイ・エー|スカイ・A sports+]](2012年度 - 。全試合、録画放送あり)
:* スカイAが[[阪神タイガース|阪神戦]]を多く放送している関係から阪神戦のみとなる。出演者もスターキャットから引き続きのメンバーが大半である事から、事実上スターキャットから放送権を引き継いだ格好となる。