「佛教寺」の版間の差分

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(御詠歌、画像)
寺伝によれば、[[奈良時代]]初期の[[和銅]]3年([[710年]])肩野部長者乙麻呂が喜恵上人を開山として招聘し建立したと言われる。和銅7年([[714年]])には[[元明天皇]]、[[平安時代]]には[[陽成天皇]]の勅願寺となったと伝えられている。
 
平安時代になると[[真言宗]]寺院となったと伝わる。また、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[南朝 (日本)|南朝]]方を支援したといわれる。
[[安土桃山時代]]の[[天正]]9年([[1581年]])兵火により伽藍を焼亡し、元明・陽成両天皇の[[勅旨]]を焼失したと言われている。
[[江戸時代]]初期の[[慶長]]9年([[1604年]])[[津山藩]]初代藩主[[森忠政]]により寺院が再興された。