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* [[1907年]] 初段昇進
* [[1908年]] 二段昇進
* [[1909年]] 三段昇進 [[警視庁 (内務省)武術世話掛|警視庁]]柔道世話係]]
* [[1910年]] 警視庁武道師範嘱託、同師範( - [[1933年]])、日本大学師範( - [[1929年]])
* [[1912年]] 四段昇進
* [[1916年]] [[慶應義塾]]師範( - [[1946年]])
* [[1918年]] 五段昇進、[[大日本武徳会]]柔道[[精錬証]]
* [[1920年]] 大日本武徳会柔道[[教士]]
* [[1926年]] 六段昇進、[[皇宮警察 (宮内省)|皇宮警察]]柔道師範( - [[1944年]])
* [[1929年]] [[昭和天覧試合#御大礼記念天覧武道大会|御大礼記念天覧武道大会]][[審判員]]
* [[1933年]] 七段昇進
* [[1934年]] [[昭和天覧試合#皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会|皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会]]審判員
* [[1937年]] 八段昇進
* [[1948年]] 九段昇進
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「新しく内股をやり始めたと言っても、その基礎は[[跳腰]]でやっていたから、そんなに苦労はなかった」、「内股は、胸と腰さえ取れば、それほど足を突っ込まなくてもかかる。内股はどちらかといえば[[腰技]]に近く、相手の足が開いていようが閉じていようが技はかかる」と語っている。
 
== 参考文献 ==
*[[宮内省]]監修『[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232699/431 皇太子殿下御誕生奉祝 昭和天覧試合]』801頁、[[講談社|大日本雄弁会講談社]]編
 
{{十段}}
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[[Category:1888年生]]
[[Category:1977年没]]
[[Category:大日本武徳会の武道家]]
[[Category:講道館柔道殿堂]]
[[Category:新潟県出身の人物]]