「水沢城」の版間の差分

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== 構造 ==
江戸期の水沢城の面積は19,511坪で梯郭式。城の北西に本丸があり、以後外側に二ノ丸・三ノ丸、御門の外には当主の家族が暮らす南ノ丸があり、それぞれの[[曲輪]](くるわ)が水堀と[[土塁]]で囲まれていた。
* 本丸は内で最も高台にあり、御宝蔵、御薬焼場、馬場があり御城守護の和光(若生)稲荷社が祀られていた。
* 二ノ丸は城の中心となる御殿が築かれ、御座間、御書院、大広間、家老詰所、大番頭、目付、物書、小姓間等があり、池の傍の二階からは城が見下されるようになっていた。廻りには、埋門(うずみもん)、御台所、湯屋、酒蔵、味噌蔵、薪屋等があった。
* 三ノ丸は城の入り口になり表御門([[大手門]])、[[鼓楼|太皷櫓]]、御門番所、硝石蔵、御兵具蔵、御行列お供土蔵、備荒倉、御葺屋、御厩、馬場、練兵場、[[郷学]]立生館等のあり、太皷櫓には伊達家一門を表す[[鯱]]が飾ってあった。