「畠山直哉」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 3 件をウィキデータ上の (d:Q1964844 に転記)
編集の要約なし
4行目:
[[岩手県]][[陸前高田市]]出身。1984年[[筑波大学]]芸術研究科修士課程修了。[[大辻清司]]の影響で写真をはじめ、大学卒業後は東京に移り活動を続ける。
 
生家の近くに大規模な[[石灰石]]鉱山があったことから、高校時代からこれらの採掘現場や工場を油絵などに描いていた。大学を出た後、岩手をはじめ日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破の瞬間、または都会の建築群や地下水路など、多様な光景を撮影するようになった。これらの作品は[[都市]]の原料(石灰岩や石炭の鉱山石灰工場、フランスの炭鉱の[[ボタ山]]、パリ地下の石の採掘場跡)から都市風景(高所から見た都市の俯瞰)、都市の解体(住宅展示場と化した[[大阪球場]]とその解体)、都市の裏側(ビルの間を流れる[[渋谷川]]や、都市の地下水路の内部)など、一貫して[[都市]]の問題にかかわっている。またイギリス滞在などを経て、工場の蒸気や車の窓ガラス一面についた水滴など、形の定かでない物、循環する物の撮影にも取り組んでいる。出版には1983年の「等高線」、1996年の「ライムワークス」「Citta in negativo」など。
 
[[1997年]]に写真集『ライム・ワークス』、写真展『都市のマケット』により第22回[[木村伊兵衛賞]]受賞。[[2001年]]には世界最大の国際美術展である「[[ヴェネツィア・ビエンナーレ]]」に日本代表の一人に選ばれている。同年、写真集『アンダーグラウンド』により第42回[[毎日芸術賞]]を受賞。[[2011年]]3月の[[東日本大震災]]の津波で陸前高田の生家が流失し、以後たびたび故郷に戻っての撮影も行う。[[2012年]]、[[東京都写真美術館]]での大規模個展『Natural Stories』で[[芸術選奨文部科学大臣賞]]受賞。
 
== 経歴 ==