「ヴォロガセス4世」の版間の差分

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だがその時ローマ軍の内部で[[天然痘]]が発生し、撤退に追い込まれた。このためヴォロガセス4世は失地を回復したが、[[166年]]には[[メディア王国|メディア]]近辺まで再びローマ軍が侵攻し、ヴォロガセス4世は[[メソポタミア]]西部を割譲して講和することになった。
 
ローマでは[[180年]]に皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが死去し、後世無能な皇帝として記憶されることになる[[コンモドゥス]]が新たな皇帝になった。ヴォロガセス4世は同年中にアルメニアを再び戦端を開き、アルメニアを占領してソハエムスを追放、自らアルメニア王となった。
 
=== 王位継承 ===