「ジョン・ケンドリュー」の版間の差分

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== 生涯 ==
気候学者のウィルフォード・ケンドリュー、美術史家のイヴリン・サンドバーグの子として生まれる。幼年期を[[オックスフォード]]、青年期を[[ブリストル]]で過ごし、[[オックスフォード大学]][[トリニティ・カレッジ (オックスフォード大学)|トリニティー・カレッジ]]に入学。[[1939年]]に卒業する。[[反応速度論]]について研究を行っていたが、[[第二次世界大戦]]の勃発に伴い航空省の研究施設で[[レーダー]]の開発に勤しむ。また、空軍本部で[[オペレーショナル・リサーチ]]を行い、空軍[[中佐]]の名誉階級を得た。
 
[[1945年]]、マックス・ペルーツと[[キャヴェンディッシュ研究所]]で同僚となった。そこで、呼吸生理学者のジョゼフ・バークロフト博士に提案された、胎児の[[ヒツジ]]と成羊の[[ヘモグロビン]]の違いについて、結晶化したタンパク質を用いた研究を始める。[[1947年]]、ピーターハウス特別研究員となり、医療審議会に分子構造解明のための研究チームを結成する許可を得た。[[1954年]]にはロンドンの王立研究所のデイヴィー-ファラデー研究室の指導者となった。