「ハリー・S・トルーマン」の版間の差分

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{{大統領
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|image=Harry S Truman, bw half-length photo portrait, facing front, 1945.jpg
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'''ハリー・S・トルーマン'''({{lang-en|'''Harry S. Truman'''}}, [[1884年]][[5月8日]] - [[1972年]][[12月26日]])は、[[アメリカ合衆国]]の政治家。[[上院議員]]、第34代[[副大統領]]、第33代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]を歴任。[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領の死を受けて[[1945年]]に[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]から大統領に昇格。[[全米有色人種地位向上協会]]で演説を行い、[[公民権運動]]を支援した初めての大統領である<ref>{{cite conference | author=President Truman | title=President Truman's Address to the NAACP, June 28, 1947 | book title=National Association for the Advancement of Colored People. | year=1947 }}</ref>。[[日本への原子爆弾投下]]については、彼が投下書類(投下命令書)を承認したとされる<ref>NHK総合 『[[その時歴史が動いた]]』No.333「模擬原爆パンプキン~秘められた原爆投下訓練~」2008年8月27日放映</ref><ref>投下命令は陸軍戦略空軍司令官の[[カール・スパーツ]]から陸軍長官の[[ヘンリー・スティムソン]]と陸軍参謀総長の[[ジョージ・マーシャル]]に承認依頼が出された。スティムソンとマーシャルはそれをトルーマンに見せたとされているが、トルーマンによる正式な承認は記録されていない([[長谷川毅]]『暗闘(上)』中公文庫、2011年、pp.322-325)</ref>。白人至上主義者団体[[クー・クラックス・クラン]]の元構成員であった。
 
[[第二次世界大戦]]の終了から[[冷戦]]の始まり、[[国際連合]]、[[中央情報局|CIA]]、[[アメリカ国家安全保障局|NSA]]、[[アメリカ国防総省|国防総省]]の創設および[[朝鮮戦争]]などに関与した。座右の銘は「[[:en:Buck passing|the buck stops here]]」(直訳は「バック([[ポーカー]]で用いられる親の印)はここで止まる」、意訳すると「責任は私が取る」)で、執務室の机にこの言葉を記した置物を置いていた。
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