「ジェームズ・モンロー」の版間の差分

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*[[トレントンの戦い]]
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'''ジェームズ・モンロー'''('''{{lang-|en-short|James Monroe}}'''、[[1758年]][[4月28日]] - [[1831年]][[7月4日]])は、第5代[[アメリカ合衆国大統領]]、[[黒人]][[奴隷]]農場主。大統領職を1817年から1825年まで2期務めた。その任期は「[[好感情の時代]]」、すなわち党派抗争が比較的少なかった時代と、その後の1819年恐慌やミズーリ準州の合衆国加盟(州昇格)について激しい国を挙げての論争があった時代で特徴づけられる。この間に[[フロリダ州|フロリダ]]の獲得([[1819年]])、[[ミズーリ妥協|ミズーリ協定]]([[1820年]])と続き、アメリカ合衆国は[[アメリカ大陸]]における[[ヨーロッパ]]の干渉を容認しないとした、いわゆる[[モンロー主義]]を発表([[1823年]])したことで最も著名となった。モンローは[[アメリカ合衆国建国の父|建国の父]]として最後の世代であり、大統領を続けて輩出してバージニア王朝と言われた時代および[[共和主義者]]世代から大統領になったことでも最後の者だった<ref>Harlow Unger, ''James Monroe: The Last Founding Father'' (2009). </ref>。
モンローは[[バージニア州]][[ウェストモアランド郡 (バージニア州)|ウェストモアランド郡]]に生まれ、[[アメリカ独立戦争]]に従軍した。1780年から1783年まで[[トーマス・ジェファーソン]]について法律を勉強し、1783年から1786には[[大陸会議]]([[連合会議]])の代議員になった。[[アメリカ合衆国憲法]]の批准を問うたバージニア会議では、反連邦党代議員として中央政府にあまりに大きな権限を与えすぎると主張して批准に反対した。それでもモンローは新しい連邦政府に積極的に関わり、1790年にはバージニア州から[[アメリカ合衆国上院]]議員に選出されて、ジェファーソンの一党(後の[[民主共和党 (アメリカ)|民主共和党]])に加わった。[[バージニア州知事]](1799年-1802年)として行政の経験を積み、[[フランス]]における外交官として1803年の[[ルイジアナ買収]]交渉に貢献して国民的な名声を得た。
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