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[[ファイル:Yao Bin 2.jpg|thumb|right|姚濱]]
'''姚 濱'''(よう びん、ラテン文字:'''Bin Yao'''、[[1957年]][[4月1日]] - )は、[[中国]]の元[[男性]][[フィギュアスケート]]選手(パートナーは[[欒波]])、現在はコーチである。[[ハルビン]]生まれ。1984年[[サラエボオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|サラエボオリンピック]]ペア中国代表。フィギュアスケートの世界選手権に中国代表として初めて出場した選手でもある。その後、コーチとしてほぼ独力で中国のペア競技を世界最強の陣容に育て上げた。まったく何も無かった所からスタートして20年弱で中国のペア競技を世界最強に育てたその手腕は、世界的にも高く評価されている。パートナーは[[欒波]]
 
== 経歴 ==
[[1957年]]、[[ハルビン]]に生まれる。中国に外部の情報が殆ど入らなかった時代にフィギュアスケートをはじ[[1970年]]から現在では名門となっていハルビンフィギュアスケートチームに所属。当時は動画資料が全く無かったのでため、姚とパートナーの欒は写真からペアのムーブを推測して技術や振り付けの練習を行っという。そしてのような状況で出場した1980年の[[ドルトムント]][[世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]では観客から失笑を買う(本人の述懐による)。この時のい、順位は最下位の15位となった。姚は1981年、1982年の世界選手権にも出場するがいずれも最下位。1984年のオリンピックでは15位となった。これらの屈辱的な経験が、を後に世界的な名コーチにまで押し上げる原動力となった
 
1984年限りで現役を引退してコーチとなり、1986年からは中国代表チームのコーチに就任し、指導力を発揮する。特にペア競技においては[[申雪]]&[[趙宏博]]組([[バンクーバーオリンピックフィギュアスケート競技ペア|バンクーバーオリンピック]]金メダリスト)や[[ホウ清|龐清]]&[[トウ健|佟健]]組(バンクーバーオリンピック銀メダリスト)、[[張丹]]&[[張昊]]組([[トリノオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|トリノオリンピック]]銀メダリスト)を初めとする強豪ペアを次々と輩出してきた。
1984年限りで現役を引退してコーチとなる。1986年からは中国代表チームのコーチに就任。1998年からは中国スケート連盟の理事長。
 
[[2004年]][[2004年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]かつて24年前に彼が屈辱を味わった町、ドルトムントで行われた。この大会でが育てた3組のチームは2位、3位、5位に入った。また彼り、姚はこの年の最優秀コーチにも選ばれた。この時、姚はこう言ったと伝えられている。「努力、経験、実行を積み重ねて、ついに私たちはここまで辿り着いた……かつて私が夢見た場所に。」<ref>International Figure Skating Magazine's 2004</ref>
ペア競技のコーチとしてはこれまでに1組のオリンピック金メダリスト([[申雪]]&[[趙宏博]]組)と2組のオリンピック銀メダリスト([[ホウ清|龐清]]&[[トウ健|佟健]]組、[[張丹]]&[[張昊]]組)を育てている。
 
姚の育てたペアは[[2006]]年のトリノオリンピックでは銀メダルと銅メダルを、[[2010年]]のバンクーバーオリンピックでは金メダルと銀メダルを獲得した。
2004年の世界選手権はかつて24年前に彼が屈辱を味わった町、ドルトムントで行われた。この大会で彼が育てた3組のチームは2位、3位、5位に入った。また彼はこの年の最優秀コーチにも選ばれた。この時、姚濱はこう言ったと伝えられている。
 
[[2012年]]に彼がメインでコーチングしていた張丹&張昊組の解散と共にコーチ業の第一線からは退いている。張丹の引退発表に際し姚は「(張丹ら教え子達を)我が子のように愛している」と話した。
「努力、経験、実行を積み重ねて、ついに私たちはここまで辿り着いた……かつて私が夢見た場所に。」
 
== 特徴 ==
姚の一門の選手の演技の最大の特徴は、躍動感と力感にあふれる演技である。姚が育てたペアが登場するまでのペア競技は、父と娘のような体格差の男女がパートナーを組んでいることが一般的であり、それが勝つための最善の方策でもあった。しかし、姚の教え子で最初の世界王者となる申雪&趙宏博組は、ペアの女性としては例外的なまでに大柄な申を、さして大柄な体格でも無い趙が他のどのチームよりも高く、そして遠くに投げてみせた。4回転ツイスト・リフトを世界で始めて成功させたのも姚の教え子である張丹&張昊組であった。姚の門下生はこうしたアクロバティックな技を極めて美しいフォームでこなし、躍動感や力感に芸術性を極めて高度なレベルで融合させ、旧採点の芸術点や新採点の演技構成点でも高い得点を引き出している。
一門の選手の演技の最大の特徴は、爆発的な躍動感、力感である。姚濱が育てた最初の世界王者、申雪&趙宏博組は[[伊藤みどり]]をして「ペアの歴史を変えた」([[2006/2007 ISUグランプリファイナル|2006年グランプリファイナル]]TV中継解説にて)と言わしめたが、彼らの登場まで、ペア競技は「父と娘のような」体格差の男女によって行われるのが当たり前であり、勝つための最善の方策でもあった。
 
申雪&趙宏博組が[[伊藤みどり]]をして「ペアの歴史を変えた」([[2006/2007 ISUグランプリファイナル|2006年グランプリファイナル]]TV中継解説にて)と言わしめたように、かつては[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ロシア]]が圧倒的に強く、ソビエトのペアのように滑る事が高い評価を得るために必要なことであると考えられていたペア競技に全く新しい価値観を創出したという点で、姚の功績は非常に高く評価されている。
しかし申雪&趙宏博組は、ペアの女性としては例外的なまでに大柄な申を、さして大柄な体格でも無い趙が(当時の)どのチームよりも高く、そして遠くに投げてみせた。現在でこそスロー・ジャンプの高さや飛距離は張丹&張昊組に一歩譲るが、どちらにせよ姚濱の門下生以外で彼らと同等の高さや飛距離を実現しているチームは存在しない。同様にツイスト・リフトでもその高さは衝撃的であり、張丹&張昊組は世界で初めてISU認定の4回転ツイスト・リフトをシニアで成功させたチームである。しかも、姚濱の門下生はこうしたアクロバティックなムーヴを極めて美しいフォームでこなし、躍動感や力感と芸術性を極めて高度なレベルで融合させ、実際に旧採点の芸術点や新採点のPCSでも高い得点を引き出しているのである。
 
== 脚注 ==
かつては[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ロシア]]が圧倒的に強かったペア競技に全く新しい価値観を創出したという点で、姚濱は正しく革新者と呼ばれるべき存在である。
<references/>
 
== 外部リンク ==