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[[ファイル:Yao Bin 2.jpg|thumb|right|姚濱]]
'''姚 濱'''(よう びん、ラテン文字:'''Bin Yao'''、[[1957年]][[4月1日]] - )は、[[中国]]の元[[男性]][[フィギュアスケート]]選手(パートナーは[[欒波]])、現在はコーチである
== 経歴 ==
[[1957年]]、[[ハルビン]]に生まれる。中国に外部の情報が殆ど入らなかった時代にフィギュアスケートを
1984年限りで現役を引退してコーチとなり、1986年からは中国代表チームのコーチに就任し、指導力を発揮する。特にペア競技においては[[申雪]]&[[趙宏博]]組([[バンクーバーオリンピックフィギュアスケート競技ペア|バンクーバーオリンピック]]金メダリスト)や[[ホウ清|龐清]]&[[トウ健|佟健]]組(バンクーバーオリンピック銀メダリスト)、[[張丹]]&[[張昊]]組([[トリノオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|トリノオリンピック]]銀メダリスト)を初めとする強豪ペアを次々と輩出してきた。
[[2004年]]の[[2004年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]は
姚の育てたペアは[[2006]]年のトリノオリンピックでは銀メダルと銅メダルを、[[2010年]]のバンクーバーオリンピックでは金メダルと銀メダルを獲得した。
▲2004年の世界選手権はかつて24年前に彼が屈辱を味わった町、ドルトムントで行われた。この大会で彼が育てた3組のチームは2位、3位、5位に入った。また彼はこの年の最優秀コーチにも選ばれた。この時、姚濱はこう言ったと伝えられている。
[[2012年]]に彼がメインでコーチングしていた張丹&張昊組の解散と共にコーチ業の第一線からは退いている。張丹の引退発表に際し姚は「(張丹ら教え子達を)我が子のように愛している」と話した。
== 特徴 ==
姚の一門の選手の演技の最大の特徴は、躍動感と力感にあふれる演技である。姚が育てたペアが登場するまでのペア競技は、父と娘のような体格差の男女がパートナーを組んでいることが一般的であり、それが勝つための最善の方策でもあった。しかし、姚の教え子で最初の世界王者となる申雪&趙宏博組は、ペアの女性としては例外的なまでに大柄な申を、さして大柄な体格でも無い趙が他のどのチームよりも高く、そして遠くに投げてみせた。4回転ツイスト・リフトを世界で始めて成功させたのも姚の教え子である張丹&張昊組であった。姚の門下生はこうしたアクロバティックな技を極めて美しいフォームでこなし、躍動感や力感に芸術性を極めて高度なレベルで融合させ、旧採点の芸術点や新採点の演技構成点でも高い得点を引き出している。
申雪&趙宏博組が[[伊藤みどり]]をして「ペアの歴史を変えた」([[2006/2007 ISUグランプリファイナル|2006年グランプリファイナル]]TV中継解説にて)と言わしめたように、かつては[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ロシア]]が圧倒的に強く、ソビエトのペアのように滑る事が高い評価を得るために必要なことであると考えられていたペア競技に全く新しい価値観を創出したという点で、姚の功績は非常に高く評価されている。
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
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