「ブロック経済」の版間の差分

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ブロック経済体制には同盟、債務関係、為替、運送料の問題などが絡んでいた。
 
==原因==
===日英綿製品競争===
==== 生産合理化の進展 ====
日本では、1924年に[[豊田自動織機]]が世界初の自動織機である無停止杼換式豊田自動織機(G型)を完成させ、機織の生産性及び製品の品質が著しく向上した。また、紡績業の深夜業が社会問題とされていたため、1929年7月1日に改正工場法が施行され深夜業が禁止となり、紡績業界はその対策としてハイドラフト精紡機やシンプレックス粗紡機などを導入して、生産合理化を進めた<ref>[http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter1/section4/item4.html トヨタ自動車75年史 第1部 第1章 第4節 第4項 ハイドラフト精紡機を発売] トヨタ</ref>。
 
日本は、一人が普通織機を八台もしくは自動織機を二十台~四十台も受け持っていた<ref name="nihon-hatten"/>。しかし、イギリスは労働組合が強かったため、英国労働組合の規約には、労働者が二台以上の機械を使ってはならないと規定されていた<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270689 ファッショか共産主義か] 五来欣造 1933年</ref>。
 
==== 原料の輸入 ====
ニューヨーク棉花取引所の調査によれば、1929~1930年度の世界棉花の五割以上をアメリカが産出していた<ref name="beimei-geraku">[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00719922&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 減って来た米棉の消費高 相場低落の大原因] 中外商業新報 1930年6月15日</ref>。アメリカ棉は割高ではあるが品質が良かったため、一番にアメリカ、二番にイギリスで消費されてきた<ref name="beimei-geraku"/>。しかし、外国棉の品質が上がり、不作でアメリカ棉の品質が落ちたため、また、日本がイギリスの中等品や下等品の大市場を奪っていたため、イギリスは割高なアメリカ棉の使用を減らし、代わりに割安なインド棉を使用するようになった<ref name="beimei-geraku"/>。
 
1932年、インド棉が不作となりアメリカ棉と同等まで割高となったため、日本はアメリカ棉の下級品を代用した<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00721406&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 もし『印棉』を買わぬとしたら?] 大阪朝日新聞 1933年4月16日</ref>。同年、インドの紡績業界は損害を受け、日本綿布がダンピングされているとして、関税引上げを要求した<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00213944&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 日本綿布はダンピングだ! 数字が証明する 関税引上と印度の言い分] 中外商業新報 1932年8月17日</ref>。
 
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==マクロ数式モデル==