「ウィレム・ヴァン・オッテルロー」の版間の差分

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[[File:Willem van Otterloo.jpg|thumb|ウィレム・ヴァン・オッテルロー (1951)(1951年)]]
{{Portal|クラシック音楽}}
'''ウィレム・ヴァン・オッテルロー''' ('''Willem van Otterloo''', [[1907年]][[12月27日]] - [[1978年]][[7月28日]]) [[オランダ]]の[[指揮者]]。作曲家、チェリストでもあった。
 
== 略歴 ==
[[オランダ]]の[[ヴィンテルスヴァイク]]に生まれる。[[ユトレヒト大学]]で医学を学ぶが、その後[[アムステルダム音楽院]]に進む。はじめはチェリストであったが、[[1932年]]に指揮者としてデビュー。[[1937年]]にユトレヒト市立管弦楽団([[ユトレヒト交響楽団]])の常任指揮者に就任する。[[1949年]]から[[1973年]]の長きにわたり[[ハーグ・レジデンティ管弦楽団]]の首席指揮者、音楽監督としてその育成に貢献した。また[[1967年]]から[[1970年]]まで[[メルボルン交響楽団]]、[[1971年]]から[[1978年]]の死去に至るまで[[シドニー交響楽団]]の首席指揮者をつとめている。滞在中の[[メルボルン]]近郊で交通事故により急死。[[フィリップス・レコード|フィリップス]]や[[コンサート・ホール・ソサエティ]]等に多くの音源を残し、特に[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団|ベルリン・フィル]]と協演した[[幻想交響曲]]や、[[ニキタ・マガロフ]]と協演した[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の[[ピアノ協奏曲第2番 (ブラームス)|ピアノ協奏曲第2番]]は評価が高い。最晩年にはシドニー交響楽団とベートーヴェンの交響曲全集のレコーディングに取り組んでいたが、[[交響曲第1番 (ベートーヴェン)|第1番]]、「[[交響曲第3番 (ベートーヴェン)|英雄]]」、[[交響曲第4番 (ベートーヴェン)|第4番]]、「[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命]]」、「[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|田園]]」の5曲までを録音した時点でオッテルローは死去しプロジェクトは半ばで頓挫している。
 
== 作品 ==
* 弦楽オーケストラのための組曲(1938(1938年?)
*#ムゼッテ
*#エレジー
*#スケルツォ
*#バッソ・オスティナート
* シンフォニエッタ(1943)(1943年)
*:(三重の木管と4本のホルンのための)
*:#モルト・ソステヌート
*:#モルト・ソステヌート
*:#モルト・アレグロ
* セレナーデ(1944)(1944年)
*:(12人の金管奏者とハープ、ピアノ、チェレスタ、打楽器のための)
*:#マルシュ(行進曲)
*:#スケルツォ
*:#ヒュムネ(讃歌)
* [[幻想曲 ヘ短調 (フランツ・シューベルト|シューベルト]]の[[幻想曲D940|幻想曲ヘ短調D940]](ピアノ[[連弾]]曲)の管弦楽編曲版(1940,(1940年、1952)年)
* イントラーダ(1958)(1958年)
*:(金管楽器と打楽器のための)
 
* Niek Nelissen: ''Willem van Otterloo (1907-1978), een dirigentenloopbaan'' (Academisch proefschrift Radboud Universiteit Nijmegen 2009). Uitg. Van Gruting, Westervoort, 2009. ISBN 978 90 75879 407
 
 
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{{シドニー交響楽団首席指揮者}}
 
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[[Category:オランダの指揮者]]
[[Category:オランダの作曲家]]
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