「野球界の永久欠番」の版間の差分

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; 読売ジャイアンツ
* '''55''':[[松井秀喜]](外野手) 2003年 - 2008年、2014年 -
: 2009年から2013年までは[[大田泰示]]がつけていたが、2013年オフに背番号を44に変更したため再び空き番号となった。
; 阪神タイガース
* '''6''':[[金本知憲]](外野手) 2013年 -
: 一度は永久欠番に内定されるが、球団内で異論が出たことに加え、金本自身が固辞したため、球団の方針でふさわしい選手が登場するまで欠番となる。
* '''22''':[[藤川球児]](外野手) 2013年 -
: ふさわしい選手が出るまで欠番になったが、2014年より韓国のセーブ王の[[呉昇桓]]に継承された。
* '''31''':[[掛布雅之]](内野手) 2014年 -
: 引退後3年間欠番とされた後、[[萩原誠]]、[[広澤克実]]、[[濱中おさむ]]、[[林威助]]らが掛布の後継者として期待され、この背番号を背負ったが、2013年のシーズンオフに林が戦力外通告を受け、同時に掛布がゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として阪神に復帰したのを期に、掛布の後を継ぐに足る選手の台頭と成長まで、この番号を凍結する方針を固めた<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20131110-OHT1T00193.htm 【阪神】背番「31」15年ぶり欠番! 掛布DC自ら「2世」育てる] - スポーツ報知、2013年11月11日付</ref>。
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: 以後は[[2000年]]までの10年間、[[田口壮]]・[[小川博文]]・[[イチロー]]の3名が7を打診されるも全て固辞、谷佳知(現・[[読売ジャイアンツ|巨人]])は入団時に7を希望するも却下され、欠番となっていた。[[2001年]]に[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]からトレードで移籍した[[進藤達哉]]が福本公認の下で使用し、欠番でなくなった。
* '''51''':[[イチロー]](外野手) 2001年 -
: イチローのメジャー移籍後、「51」を誰も使用しないまま2013年現在も欠番となっている。[[2005年]]に監督として復帰した[[仰木彬]]にイチロー自身が使用おり、本人曰く、「誰も僕の番号勧め付けたが、仰木る選手「そん番号は畏れ多くて絶対つけられんいでしょうね」と固辞言っていた
; 南海ホークス→福岡ダイエーホークス→[[福岡ソフトバンクホークス]]
* '''1''':[[秋山幸二]](外野手) 2003年