「大内盛見」の版間の差分

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文人としても優れ、[[京都五山]]の僧達と交わって[[禅]]を修め、応永25年([[1418年]])から永享3年に及ぶ[[宇佐神宮]]の造営を手がけ、[[興隆寺 (山口県)|興隆寺]]に供養会を開くなど文化的業績を挙げた。また、[[李氏朝鮮]]と通交して[[大蔵経]]を印行させ、大きな利益を得ている。
 
== 偏諱を与えた人物 ==
*[[大内盛清|大内'''盛'''清]](甥(庶兄・[[大内弘正|弘正]]の子)、子孫は[[冷泉氏]]となる)
*[[小早川盛景|小早川'''盛'''景]]
 
== 参考資料 ==