「アウグスト・セサル・サンディーノ」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2013年12月}}
{{Infobox 革命家
|名前=アウグスト・セサル・サンディーノ
当時のニカラグアでは[[ウィリアム・ウォーカー|ウォーカー戦争]]以前から対立し、時折内戦を起こしていた自由党派と保守党派が都市ごとに別れて激しく対立していたが、ドン・グレゴリオは熱心な自由党派であり、サンディーノも父親の影響を受けて自らも自由党派を名乗り、後に護憲戦争が始まった時は自由党軍の将軍として参戦する。
 
サンディーノは私生児だったが、グレゴリオから長男としての扱いを受け、当時それなりの知識人であった父親の書斎にあった本をよく読み、学んだ。[[ローマ帝国]]史の本を読んで、{{要出典|範囲=自分の名前のCはカルデロンではなくセサル([[ガイウス・ユリウス・カエサル]]のスペイン語読み)だったということにしたのもこの頃である。|date=2013年12月}}
 
ニカラグアの工業学校に通った後に[[コスタリカ]]で技能工として働いていたが、[[1921年]]にニカラグアに戻ってきた時に、彼は酒場で酒を飲んでいた時に酔った勢いで刃物を取り出し、著名な保守党派の息子タゴベルト・リバスの[[暗殺]]を試みてしまった。当然ニカラグアにいられなくなったサンディーノは、その後[[ホンジュラス]]、[[グアテマラ]]に逃亡し、結局[[メキシコ]]に逃れる。そしてメキシコで彼は[[タンピコ]]の港近くにある[[スタンダード・オイル]]の精製所で働くことになった。
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