「マタイによる福音書」の版間の差分

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Kazuboku (会話 | 投稿記録)
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教会史家のエウセビオスによると、マタイは15 年間パレスチナで伝道したのち、まずヘブル語で福音書を書き、のちにギリシア語版ができたのであるから、マタイ福音書の成立は早くとも紀元[[50年]]ごろです<ref>いのちのことば社『新聖書辞典』p.1181 による。エウセビオス『教会史』の箇所は不明。</ref>。
以上により、成立年代は紀元[[50年]]~[[69年]]になる。
 
なお、エウセビオスの『教会史』に「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(3:24:6)とあることから、マタイはまず上記期間の早い時期に、あとに残していくパレスチナ(おそらくツロやシドンのような港町)のユダヤ人教会のために、ヘブライ語版(アラム語版も考えられるが、いのちのことば社『新聖書辞典』にヘブル語とあるので、ヘブライ語としておく)の福音書を書き残し、その後、次の任地であると思われるアンテオケ(アンティオキア)でローマ帝国の各地に居住しているヘブライ語を話せないユダヤ人のために、ギリシア語版を著したと考えられます。
 
=== 高等批評の立場 ===