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[[2000年]]に[[アトランタ・ブレーブス]]と契約。[[2008年]]はアトランタ・ブレーブス傘下2A[[ミシシッピ・ブレーブス]]、途中から[[シアトル・マリナーズ]]傘下2A[[ウェストテン・ダイヤモンドジャックス]]でプレー。成績は中継ぎで41試合登板、4勝3敗、[[防御率]]4.16。67イニングで65奪三振、42四球だった。ただし、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]へ昇格したことはない。
===中日ドラゴンズ時代・第1期(2009年)===
[[2008年]]末に参加したドミニカ・[[ウィンターリーグ]]での好投が、同リーグを視察中の[[森繁和]](当時は[[中日ドラゴンズ]]一軍バッテリーチーフコーチ)の目に留まったことから、[[2009年]]に[[落合博満]]監督(当時)が率いる中日ドラゴンズへ入団。オープン戦で結果を残したことから、同じドミニカ出身で前年に入団した[[マキシモ・ネルソン]]と共に、公式戦の開幕一軍に登録されるで迎えた
 
[[4月5日]]の対横浜戦で来日初登板。無死一・二塁のピンチを無失点に抑えると、以降は貴重な左のセットアッパーとして働いた。シーズン通算では、一軍公式戦に34試合登板。防御率が2.08と安定していた。