「篠脇城」の版間の差分

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『大和村史』によれば初代・[[東胤行]]の晩年に築城が始まり、[[14世紀]]前半の四代・[[東氏村]]のとき本格的に城が完成して移住したとされる。[[1468年]]([[応仁]]2年)には[[斎藤妙椿]]に攻められて落城したが、関東に在陣していた[[東常縁]]がこれを伝え聞いて詠んだ歌が妙椿に伝わり、贈歌10首と引換えに城を返還した、と『鎌倉大草紙』にはある。[[1471年]]([[文明_(日本)|文明]]3年)から[[1477年]](文明9年)にかけて、[[宗祇]]が篠脇城に常縁を訪ねて[[古今伝授]]を受けている。
 
[[1540年]]([[天文_(元号)|天文]]9年)に[[越前国]]から[[朝倉氏]]が来攻したが、城主・[[東常慶]]の指揮の元、放射状竪[[堀]]から巨石を投下し、撃退している。しかしながらこれにより城自体の破損が著しく、翌[[1541年]]に朝倉氏の再来攻の際は、[[油坂峠]]で迎撃している。修復を諦めた常慶は、同年に八幡(現・八幡町)の赤谷山に築城して移転し、篠脇城は廃城となった。
 
後に遠藤氏が東氏の後を継ぎ、[[郡上八幡城]]を本拠としている。
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