「篠脇城」の版間の差分

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== 概要 ==
この地域一帯を支配していた[[東氏]]が8代・約230年間にわたって居城とした。栗巣川左岸の標高約523メートルの[[篠脇山]]山頂にあり、北は牛道郷(現・郡上市[[白鳥町 (岐阜県)|白鳥町]])、北東は寒水(現・同市[[明宝村|明宝]])、東は小駄良(現・同市[[八幡町 (岐阜県)|八幡町]])にそれぞれ通じ、西には[[長良川]]がある要衝だった。
 
約30条の放射状竪[[堀]]が城の周囲に刻まれており、「臼の目城」とも呼ばれ、本城の特徴となっている。この防御構造によって、後述の通り朝倉氏の侵攻を撃退しているが、逆にそれが後の廃城の原因となった。
 
現在は岐阜県指定[[史跡]]になっている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/bunka-geijutsu/bunkazai-zuroku/bunkazai-zuroku/shiseki/gujyousi/sinowaki.html |title=篠脇城跡 |publisher=岐阜県 |accessdate=2012-08-04}}</ref>。麓には東氏館跡庭園がある。
 
== 構造 ==
年不詳の『篠脇城跡略図』によると、麓の東西に[[土井]]、中央に門口、東方に矢場、西方には[[馬場]]があったとされる。土井囲の中には東氏の館があった。現在は山麓の登り口に表門跡とされる[[礎石]]がある。また、山頂の三段の平地のうち最上段が[[本丸]]跡と推定される。城郭を囲む放射線状の30本余の[[堀|竪堀]]がこの城の特徴で、[[臼]]の目堀ともよばれる。ほとんどは深さ2~3m、底幅2m、長さ10~40mで、その内2本が山麓まで達する。前述の通り、この防御施設によって朝倉氏の来攻を撃退しているが、逆にそれが廃城の原因となった。二の丸の西北に湧水があり、城の飲料水だったと考えられる。
 
== 現地情報 ==
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