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== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[カンザス州]]生まれ。[[アリゾナ州立大学]]時代の{{by|1978年}}には、[[原辰徳]]を擁する[[東海大学]]との親善試合に来日。東海大学との5試合のほか、全7試合すべてで[[本塁打]]を放った。同年に創設された[[ゴールデンスパイク賞]]の最初の受賞者となり、当時の[[全米大学体育協会|NCAA]]の通算本塁打58本とシーズン本塁打25本の新記録を樹立した(現在は[[ピート・インカビリア]]が通算本塁打100本とシーズン本塁打48本の記録を保持)
 
=== ブレーブス時代 ===
{{by|1978年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]で[[アトランタ・ブレーブス]]より全米1位指名を受ける。[[マイナーリーグ]]での出場を拒み、いきなり[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビューし(メジャーリーグではマイナー経験無しの選手は非常に稀)、6月16日のデビュー戦(対[[ピッツバーグ・パイレーツ]]戦)では第3打席に[[バート・ブレイレブン]](通算287勝、のちに[[アメリカ野球殿堂]]入り)から2ラン本塁打を放つ。89試合出場で[[打率]].266、23本塁打、66[[打点]]を記録し、[[オジー・スミス]]らを抑えて[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]を獲得する。
 
{{by|1979年}}、{{by|1980年}}と2年連続で30本塁打以上を放つ。{{by|1981年}}は肩や足の故障に悩まされて79試合出場で15本塁打に終わったが、{{by|1982年}}は大きな故障もなく、2シーズンぶりの30本塁打以上を記録し、キャリア唯一の[[1982年のMLBオールスターゲーム|MLBオールスターゲーム]]出場を果たすなど、ブレーブスの4番打者として成績を重ねた。