「藤井康雄」の版間の差分

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(Infobox baseball playerの規定に基づき在籍年を記載)
|没年月日 =
|身長 = 181
|体重 = 8381
|利き腕 = 右
|打席 = 左
|初出場 = 1987年4月10日
|最終出場 = 2002年10月13日
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[近畿大学泉州高等学校|泉州高等学校]]
* [[プリンスホテル硬式野球部|プリンスホテル]] (1981 - 1986)
* [[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス<br />オリックス・ブレーブス<br />オリックス・ブルーウェーブ]] (1987 - 2002)
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 = <nowiki></nowiki>
* オリックス・ブルーウェーブ<br />[[オリックス・バファローズ]] (2003 - 2006, 2009)
* [[福岡ソフトバンクホークス]] (2011 - )
甲子園出場はならなかったが知人の勧めで[[プリンスホテル硬式野球部|プリンスホテル]]に入社し、プロ入りした[[石毛宏典]]の後任として[[遊撃手]]への[[コンバート_(野球)|コンバート]]が検討されたものの、数日でこの案が却下されて[[一塁手]]となっている<ref name="base_20020325_40"/>。社会人時代には[[野球日本代表|全日本代表]]の4番を務めた事もある<ref name="ushio_200301_265">『潮』、2003年1月号、P.265</ref>。また20代前半で肩を故障して半年ほど野球ができなくなり、歯がゆい思いをしたという<ref>読売新聞、2002年11月18日付朝刊、大阪本社版、大阪地方面、P.33</ref>。
 
[[社会人野球]]No.1の強肩とベース1周14秒5の俊足を評価され<ref name="base_20020325_40"/>、[[1986年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1986年のドラフト会議]]4位で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]から4位指名を受けた。東京に6年間いた事もあって在京球団を希望していたが、「与えられた環境で頑張ることが大事ではないか」という母の助言もあって入団を決めたという<ref name="ushio_200301_262">『潮』、2003年1月号、P.262</ref>。担当スカウトは[[三輪田勝利]]で、契約金と年俸それぞれ4,300万円、450万円(いずれも推定)で契約を結んでいる<ref>読売新聞、1986年12月12日付朝刊、P.17</ref>。
 
=== プロ野球選手時代 ===
 
=== 記録 ===
{{出典の明記|date=2013年12月|section=1}}
;初記録
*初出場:1987年4月10日、対[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]1回戦([[阪急西宮スタジアム|阪急西宮球場]])、9回裏に[[弓岡敬二郎]]の代打で出場
{{DEFAULTSORT:ふしい やすお}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:野球指導者]]
[[Category:プリンスホテル硬式野球部の選手]]
[[Category:オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:野球指導者]]
[[Category:福岡ソフトバンクホークス関連人物]]
[[Category:広島県出身の人物]]
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