「鋳掛屋」の版間の差分

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== 概要 ==
[[江戸時代]]から[[昭和]]期にかけての家財道具である[[鍋]]や[[釜]]は主に[[鋳鉄]]製であったが、当時の鋳造技術では鬆(ス)が入りやすく、また、ひび割れ等により穴が開くことがあった。その一方、「月夜に釜を抜かれる」といったことわざにみられるように、鍋釜を含む金属類は近代工業以前まで泥棒が真っ先に狙うほどの貴重品であった。したがって、穴が開いたとしても容易に捨てたり買い換えたりするわけにいかず、完全に使い物にならなくなるまで補修を繰り返しながら使っていたのである。これを請け負う修理業者が鋳掛屋である。<ref name=miya41>[[#宮田|宮田(2012)p.41]]</ref><ref group="注釈">。これを請け負う修理業者が鋳掛屋である。<br />
 
他の修理業者としては、欠けた[[茶碗]]を直す焼き接ぎ屋、すり減った[[下駄]]の歯を修繕する[[歯入れ屋]]、水漏れする桶や樽のたがを直す[[たが屋]]などがあった。[[#宮田|宮田(2012)p.41]]</ref>。
 
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[[ファイル:Kusakabe Kimbei - 286 Tinkers contrast.jpg|right|thumb|300px|明治・大正期の鋳掛屋([[日下部金兵衛]]撮影)]]
 
[[明治]]、[[大正]]時代までは鍋・釜の品質が向上しなかったので鋳掛屋商売も成り立っていたが、昭和期に入ると近代工業で大量生産されたプレス成型のアルミ鍋等が流通するようになり、これらは流しの鋳掛屋が簡単に補修できるものではなく、また価格の下落により敢えて修理する必要も感じられなくなり、急速に廃れてゆくことになる。ただし、鋳掛の技術そのものは現在でも必要とされ、小型の[[鐘]]、大釜などを片手間に鋳掛ける鋳造業者もある。
 
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