「島津綱貴」の版間の差分

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家督継承後、薩摩藩は大洪水や大火などの災禍が相次ぎ、治世は多難を極めた。そのうえ、幕命による[[寛永寺]]本堂造営の普請手伝い、金銀採掘の手伝いなどを命じられ、薩摩藩の財政は逼迫した<ref>ちなみに、この時の普請の奉行は[[禰寝清雄]]、副奉行はその婿で綱貴の叔父の[[島津久明]]が勤める。</ref>。
 
このように藩政は緊張をはらんだ物であったが、諸大名に辛辣な評価をしたことで知られる史料『[[土芥寇讎記]]』では数少ない「今の泰平の世における善将」<ref>[[中嶋繁雄]] 名君・暗君 江戸のお殿様(平凡社)』 ISBN 978-4-582-85355-1 37頁</ref>「領民や藩士から慕われる殿様」として紹介されている。
 
宝永元年(1704年)9月、[[芝 (東京都港区)|芝]]の[[江戸藩邸]]にて55歳で死去。
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