「越後長岡藩の家臣団」の版間の差分

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=== 今泉氏(今泉竹右衛門家) ===
'''今泉氏'''は初期の家老。庶流の今泉惣左衛門家と共に元和4年長岡打入御供。本姓元々は松平氏で、十八松平家の一つ[[長沢松平家]]の庶流の一つと推定されているが、牧野氏牛久保以来の家柄である。江戸時代初期の重臣であった今泉竹右衛門(1,300石)の家は寛永年間、嫡男・勘左衛門ときに絶家しているが子細は不明である。
 
子細については諸説あり、初代忠成の跡式について、孫の忠盛(2代目忠成)とすることに反対した勢力であったため、粛清されたとする説や他藩(菅沼氏)に移籍したとする説がある。
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===稲垣氏(稲垣権右衛門家)===
家老・稲垣太郎左衛門成心の次男の家系。世禄300石以上を連綿した上級家臣。元和4年長岡打入り御供。長岡では、はじめ家老職並みの1,100石を給された。その後、子細が不明だが嫡子・成啓(小右衛門)が元和9年(1623年)に500石に減知された。このとき分家の分出があったとする藩文書は存在しない。
 
 
==着座家・中老職・旧知300石以上家臣==