「リチャード・プライヤー」の版間の差分

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プライヤーは初期のころから「[[ニガー]]」や「[[マザーファッカー]]」など、米国では通常使用がためらわれる強い卑語を多く使っていた。しかし、その内容は彼の鋭い人間観察を反映しており、アメリカ社会に巣食う黒人差別を逆手に取った過激なものである (なお、プライヤーは[[1979年]]にアフリカへ旅行し、それ以降は「ニガー」という語を二度と使わないと宣言した)。1960年代後半から1980年代にかけてプライヤーは多くの作品を残し、特に1970年代後半からは[[ジーン・ワイルダー]]とのコンビで『[[大陸横断超特急]]』などのヒット作を生み出した。[[エディ・マーフィー]]や[[クリス・ロック]]など、多くのコメディアンに影響を与えたことから、プライヤーはこの時代におけるもっとも偉大なコメディアンのひとりと見なされることが多く、[[ジェリー・サインフェルド]]はプライヤーを「コメディにおけるピカソのような存在」と呼んでいる<ref>[http://www.cnn.com/2005/POLITICS/12/21/morton.thosewelost/index.html CNN.com - Those we lost - Dec 28, 2005]</ref>。
 
長年[[アルコール]]や薬物中毒の依存に苦しんだことでも知られ、[[1980年]][[6月9日]]、映画『[[:en:Bustin' Loose (film)|Bustin' Loose]]』制作中には[[コカイン]]使用の影響下で自らの身体に75度(151プルーフ)の[[ラム酒]]をかけて火を点け、全身の50%以上に及ぶ大火傷を負い、一時活動を休止する、という事件を起こしている。<ref>{{Cite web|url=http://d.hatena.ne.jp/blackmovie/20060421|title=Richard Pryor Live on the Sunset Strip / 日本未公開 (1982)|publisher=::SOUL:: :ブラック・ムービー:Black Movie:|date=2006-04-21|accessdate=2013-12-22}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.dorakudo.com/?pid=62787846|title=スター・クレイジー(映画パンフレット)|publisher=古本道楽堂|accessdate=2013-12-22}}</ref>。
 
[[1985年]]頃からは[[多発性硬化症]]のため20年に渡る闘病生活を送っていたが、[[2005年]][[12月10日]]、心臓疾患のため[[ロサンゼルス]]郊外の病院で死去。{{没年齢|1940|12|1|2005|12|10}}。