「両税法」の版間の差分

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実際の運用に当たっては税を地方官が徴収した後、留県(県の必要経費)・留州・留使(節度使)をそれぞれが取った後に中央へ残りの額が送られる。
 
租庸調制では租の納期を12月末、庸調の納期を9月末としていたが、これは華北における粟(租)、蚕・大麻(庸調)の収穫時期に合わせたものであった。その後の麦作・豆作の盛行や寒冷化の進行、華北から江南新しい農業開発技術(田植え法・麦作・蚕の品種改良)の伝播や二毛作の導入に伴う農業生産構造の変化、安史の乱による華北農作地帯の壊滅によって江南からの租税への依存が高くなり、江南における麦絹(夏税)、稲粟苧麻(冬税)の収穫時期に合わせた2に変更された。もっとも、この納税時期の変更は豆や大麻の収穫時期の遅い華北には不利である為、2の原則にも関わらず実際の運営では地域によっては3回(恐らく、旧庸調の9月末)に分けて納付される事も認められていた(『旧唐書』食貨志上・『新唐書』楊炎伝)<!--古賀、2012年、P253-288--> 。
 
3と4はそれぞれ商業活動の活発化を示すものである。また、安史の乱をきっかけとした塩の専売制強化をきっかけに農民生活に貨幣が必要になった事や財政難を貨幣発行で賄おうとした政策との関わりも指摘されている<!--古賀、2012年、P294-314--> 。また5は一面には歳入の範囲内での健全な財政を保てなくなった証左であるが、別の一面からは節度使が無軌道に税を徴収することを戒め、政府が管理できる範囲内でのみ予算を立てさせると言う意味合いがある。