「穴熊囲い」の版間の差分

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西村一義
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端の[[香車]]を一つ前に動かし、その下に[[玉将|玉]]を動かした形が、[[熊]]が[[穴蔵]]に潜るように見えることからこの名が付いたといわれる。古くは「岩屋」「獅子のホラ入り」とも呼ばれていた。
 
いわいる'''[[振り飛車穴熊]]'''は江戸時代からある戦法であるが以前はプロからの評価は低く、また、''「穴熊などやるようでは強くなれない」''<ref>『日本将棋用語事典』p.8より引用。</ref>という偏見もあった。しかし、1970年代に入ると[[大内延介]]らによってその優秀性が示された。その後、[[田中寅彦]]らにより居飛車(対振飛車戦)で穴熊に囲う「'''[[居飛車穴熊]]'''」が考案整備され猛威を振るった。現代では、居飛車穴熊にどう立ち向かうか、が振り飛車側の大きな課題の一つとまなっている。また、[[矢倉囲い|矢倉]]戦、[[相振り飛車]]戦でも穴熊囲いは頻繁に出現し、堅さを重視する現代将棋の象徴とも言える。
 
== 長所 ==
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== 短所 ==
まず、囲いが完成するまでに手数がかかるため、それ以前に攻撃を仕掛けられることが多い。また、囲いが完成した形では、1ヶ所に駒が密集し偏っているために自陣に隙が多くなり、角の打ち込みなどが生じやすい。横からの攻めには非常に強いが、上部や端からの攻めには比較的弱い。終盤では、玉が隅にあるので身動きが取れず、逃げ道がないことがある。相手に入玉された場合は、勝ち目が必然的になくなり、穴熊側が投了したという対局も多い
 
また、居飛車穴熊の場合は加えて、相手の角道が直射するという欠点もある。居飛車穴熊の攻略法には、角道を利用したものが多い。
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[[2001年]]2月22日[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]第1小法廷は、同件を上告審として受理しないことを決定した(上告棄却)。この棄却決定により、二審の東京高裁判決が確定することとなった。
 
なお、史実では、[[1968年]]の第27期[[名人戦_(将棋)|名人戦]](大山4-升田0)第2局で先手番の[[升田幸三|升田幸三実力制第四代名人]]が居飛車穴熊のコンセプト<ref>当時の棋戦解説では「珍しい左穴熊」と記された。</ref><ref>棋譜は週刊将棋編「不滅の名勝負100」(毎日コミュニケーションズ)で確認できる。</ref>を後手番の[[大山康晴|大山康晴十五世名人]]の四間飛車相手に実践していた。しかし、実際に居飛車穴熊を現代戦法として再編・体系づけてプロ棋士の間に大流行させて本格的な対振り飛車攻略として定着させたのは、紛れも無く[[田中寅彦]]の功績である。[[小倉久史]]著下町流三間飛車戦法の一節によれば、当人のコメントとして「訴えられたから戦った」そうである。また、田中以前には[[西村一義]]が居飛車穴熊戦法を何度も実戦で採用しており、田中はこの西村にも少なからず影響を受けている。
 
== 参考文献 ==