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*[[秦]]の遺民が[[朝鮮半島]]に逃れて建てた秦韓([[辰韓]])の系統。([[太田亮]])<ref name="a" />
 
*[[新羅]]系渡来氏族。特に、[[聖徳太子]]に仕えた[[秦河勝]]は[[朝鮮の仏教#三国時代の初期仏教|新羅仏教]]系統を信していた<!--新羅と関係深かったと、これある[[蘇我氏]]と[[漢氏]]、新羅百済仏教を信していたは書かれていない-->対照的である<ref name="ue140">[[上田正昭]]『帰化人』中公新書、1965年,p140</ref>。([[平野邦雄]]・[[直木孝次郎]]・[[上田正昭]])<ref>[[平野邦雄]]「秦氏の研究」(『史学雑誌』第70編第3・4号、1961年)</ref><ref>[[直木孝次郎]]『古代日本と朝鮮・中国』[[講談社学術文庫]]、1988年,p45,p53</ref><ref>[[上田正昭]]『帰化人』[[中公新書]]、1965年,p71-2</ref>
 
*百済系渡来氏族。弓月の[[朝鮮語]]の音訓が、百済の[[和訓]]である「くだら」と同音である。また『日本書紀』における弓月君が百済の120県の人民を率いて帰化したとの所伝もこの説を補強する。([[笠井倭人]]・[[佐伯有清]])<ref>笠井倭人「朝鮮語より見た秦・漢両氏の始祖名」(『考古学論考』『古代の日朝関係と日本書紀』所収)</ref><ref>[佐伯:1994 369]</ref>
 
*弓月の[[朝鮮語]]の音訓が、百済の[[和訓]]である「くだら」と同音である。また『日本書紀』における弓月君が百済の120県の人民を率いて帰化したとの所伝もこの説を補強する。([[笠井倭人]]・[[佐伯有清]])<ref>笠井倭人「朝鮮語より見た秦・漢両氏の始祖名」(『考古学論考』『古代の日朝関係と日本書紀』所収)</ref><ref>[佐伯:1994 369]</ref>
<!--専門外の人間が綴った文献
*弓月君は中国[[五胡十六国時代]]の[[羌]]族が興した[[後秦]]に由来する。また、[[羌]]族が[[チベット・ビルマ語派]]に属する[[チベット]]系民族であって、同言語においてハタは辺鄙の土地、ウズは第一、キは長官を意味することから、ハタのウズキとは「地方を統治する第一の長官」を意味する。同様に、マは[[助詞]]「の」、サは都を意味することから、ウズマサは「第一の都市」を指す。([[田辺尚雄]])<ref name="tana">田辺尚雄『日本文化史体系』「奈良文化」章。[[関晃]]『帰化人』至文堂、1966年、p96-97</ref>
<!-- {{要出典範囲|[[五胡十六国時代]]に[[テイ (民族)|氐]]族の[[苻氏]]が建てた[[前秦]]の王族ないし貴族の系統とする説|date=2012年10月}}などがある。-->
 
*[[景教]]([[キリスト教]]の[[ネストリウス派]])徒の[[ユダヤ人]]とする([[日ユ同祖論#秦氏|日ユ同祖論]])。<!-- {{要出典範囲|[[平安京]]は[[碁盤]]の目のような十字路で構成されている為に景教と関連がある、とも言われている|date=2012年10月}}。-->([[佐伯好郎]])<ref>[[佐伯好郎]]「太秦(禹豆麻佐)を論ず」( [[喜田貞吉]]主宰『地理歴史 百号』明治41年1月収載)</ref>
-->
 
『[[隋書]]』には、[[風俗]]が[[華夏]]([[中国]])と同じである'''[[秦王国]]'''なる土地が日本にあったことが紹介されており<ref>「{{lang|zh|又至竹斯國又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也}}」(『[[隋書]]』「{{lang|zh-hant|卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國}}」)</ref>、これを秦氏と結び付ける説もある<ref>[[大和岩雄]]『日本にあった朝鮮王国』白水社</ref>。