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'''『ソビエト大百科事典』'''([[ロシア語]]:'''{{lang|-ru|'''Большая советская энциклопедия (БСЭ)}}'''}}、[[ラテン文字]]転写の例: ''{{lang|lt|Bolshaya sovetskaya entsiklopediya}}'')は[[ソビエト連邦|ソ連]]で編纂された[[百科事典]]である。ロシア語で書かれた書籍のうち、最も大きく、また広範囲の項目を扱っている。
 
== 概要 ==
同百科事典は第三版まで存在した。[[1926年]]から[[1947年]]にかけて[[オットー・シュミット]]を編集長(1941(1941年まで)として初版が六十六冊、六万五千項目で公刊され、第二版は五十一冊からなり、十万項目を数え、[[1950年]]から[[1958年]]の間に[[セルゲイ・バビロフ]](1951(1951年まで)、[[ボリス・ヴェデンスキ]]を編集長(1969(1969年まで)を編集長として刊行された。[[1969年]]から[[1978年]]にかけて出版された第三版は三十冊からなり、十万項目を数え、五千万語からなり、編集長は[[アレクサンドル・プロホロフ]](1969(1969年から)であった。また、第三版は1973年より英語に翻訳された。同百科事典の改定は[[ヨシフ・スターリン]]死後に逮捕、処刑された、[[大粛清]]の担い手[[ラヴレンチー・ベリヤ]]に関する箇所を全て除いた。
 
アメリカ人作家で[[ソビエト連邦]]をくまなく旅し、同連邦における生活について幾冊も書いているモーリス・ヒンダスによれば、第一版の方が第二版よりはるかに優れていて、第二版は記事に偏りがあり、まったく不完全だという。例えば、第一版では哲学者[[ウィリアム・ジェームズ]]は好意を持って書かれているが、[[プラグマティズム]]に関しては批判されている。第二版において、ジェームズは「アメリカの反動的哲学者、心理学者であり、帝国主義的ブルジョアのイデオロギー唱道者...」と書かれている。
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[[フィリップ・K・ディック]]の[[ヴァリス]]では架空の「大ソビエト辞典第6版」が引用されている。
 
== 関連項目 ==
*[[ロシア大百科事典]]
 
== 外部リンク ==
*[http://www.rubricon.com/ Rubricon] {{ru icon}}(上記のインターネット版)
 
*[http://wwwencycl.rubriconyandex.comru/ Rubricon(上記のインターネット版)] {{ru icon}}
*http://encycl.yandex.ru/ {{ru icon}}
 
[[Category:百科事典|そひえとたいひやつかしてん]]