「ジェイムズ・ハドリー・チェイス」の版間の差分

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| birth_name = Rene Brabazon Raymond
| birth_date = {{生年月日と年齢|1906|12|24}}
| birth_place = [[イギリス]][[ロンドン]]
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1906|12|24|1985|2|6}}
| death_place = <!--死亡地-->
| resting_place = <!--墓地、埋葬地-->
| occupation = 探偵作家
| language = [[アメリカ英語]]
| nationality = [[イギリス]]
| education = <!--受けた教育、習得した博士号など-->
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}}
 
'''ジェイムズ・ハドリー・チェイス'''(ジェイムズ・ハドリー・チェイス James Hadley Chase [[1906年]][[12月24日]] - [[1985年]][[2月6日]])は[[イギリス]]、[[ロンドン]]生まれの[[作家]]。本名は'''ルネ・ブラバゾン・レイモンド'''(Rene Brabazon Raymond)。<ref>[http://www.aga-search.com/487jameshadleychase.html ジェームズ・ハドリー・チェイス]</ref>
 
== 来歴・人物 ==
18歳で書店の店員をはじめ、[[出版]]、[[製本]]、[[販売]]関係の仕事をして、その経験から[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ギャング]][[小説]]の需要が多いのを知り、それに応えるべく作家になる決意をする。アメリカの[[スラング]]辞典を買って[[1938年]]、六週間で『ミス・ブランデッシの蘭(No Orchids for Miss Blandish)』を書き上げ、翌年、ロンドンのジャロルド社から刊行される。この作品はセンセーションを巻き起こし、後にアメリカ、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[スペイン]]、[[ノルウェー]]、[[スウェーデン]]、[[デンマーク]]、[[フィンランド]]、[[カナダ]]、[[日本]]、[[南米]]、[[ソ連]]で相次いで出版され、総発行部数、二百万部を超す大ベストセラーとなった。映画化もされ、芝居になりロンドンの[[ウェスト・エンド]]で一年以上のロングランともなり、チェイスは作家に専念することになる。しかしこの処女作は[[第二次世界大戦]]下のイギリスに激しい賛否両論を巻き起こすことになる。小説に救いのないこと、作中のギャングの凄惨な[[リンチ]]、その他様々な場面などが問題となり、当局から発売停止の処分を受けることになるが、チェイスはこの作品によって[[ハードボイルド]]のスタイルとその技巧をイギリスにもたらした最初の作家となった。小説の主人公が[[ウィリアム・フォークナー]]の『[[サンクチュアリ]]』の影響を受けた性格像であると言われ、チェイスは「大衆のフォークナー」と称えられる。「大衆がそれを望み、愛しているので、私は彼らにセックスと暴力を売る、ただそれだけのことです。私は商業作家に過ぎません。」とチェイスは言い切っているが、文豪、[[ジョージ・オーウェル]]は、この作品について「無教養な三文文士が書くようなものではなく、一語の無駄もなければ、どこを探しても耳障りな雑音もない、見事な文章の作品」<ref>オーウェル評論集 ラフルズとミス・ブランディシュ-探偵小説と現代文化 [[岩波文庫]] P242</ref>と絶賛し、他の評論家などにも次々と取り上げられた。発売停止後、1942年に改訂版が出され問題の個所が緩和されることになる。初版本は絶版になって本国イギリスでも寄こう本になって手に入りにくくなっており、日本でも[[創元社]]から出ている訳は改訂版によっている。
 
その後、チェイスは[[イギリス空軍]]に入るが、一年もたたないうちに空軍大尉に任官され、空軍部門の部外秘文書である英国空軍誌の編集責任者となったが、軍務の傍らにも次々に作品を執筆して人気を高め、終戦近くにはベストセラー作家としての位置を確立し、戦後はとくにフランスで大評判となり、おもに[[ガリマール出版社]]から出版された。そしてチェイスは[[バッキンガムシャー]]の農場で長年暮らしてきたが、イギリスの天候を嫌って[[1956年]]、'''南仏'''、'''カップダイユ'''に移住することになる。その後、単調な海辺暮らしに飽き、[[1963年]]以降は[[パリ]]、[[セーヌ川]]沿いの高級アパートの最上階に移る。しかし、フランス語で作品を書いてるわけではない。妻はロシアの指揮者、'''アルベール・コーテス'''の秘書を務めたことのある'''シルヴィア'''という才媛で二人の間には息子が一人いる。
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[[Category:イギリスの推理作家]]
[[Category:ロンドン出身の人物]]
[[Category:1906年生]]
[[Category:1985年没]]