「式守伊之助 (34代)」の版間の差分

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[[2005年]]11月場所で[[木村庄之助_(31代)|31代木村庄之助]]が[[停年]]。もう一人の立行司である[[木村庄之助_(32代)|33代式守伊之助]]と光之助は翌[[2006年]]1月場所後に停年を迎えるため2人とも昇格するか注目されたが、33代伊之助は32代[[木村庄之助]]を襲名、光之助も立行司に昇格、34代[[式守伊之助]]を襲名した。伊之助在位1場所は在位0場所に終わった[[式守伊之助 (14代)|14代伊之助]](番付上は在位1場所であるが死跡)を除けば[[式守伊之助_(30代)|30代式守伊之助]]の2場所を下回る最短記録。しかし1月場所後も役員選挙権のある評議員資格があったため、伊之助として在位。2006年2月5日の[[日本大相撲トーナメント]]では、伊之助として最後の裁きを行った。[[2006年]][[2月9日]]に停年退職。本場所最後の一番は[[関脇]][[白鵬翔|白鵬]]-[[大関]][[琴欧洲勝紀|琴欧州]](後に琴欧洲)。
 
時間いっぱいでの立ち合い前は、低い声で'''「時間です待ったなし!」'''と切らさず言うが「時間です」は早口で聞き取りにくい。立ち合い後は'''「なぁかったなぁかったなぁかったなぁかった」'''という感じの甲高いかけ声と'''「勝負あり」'''の声が野太いのが特徴であった。
 
==その他==