「式守伊之助 (24代)」の版間の差分

[[木村庄之助_(23代)|23代木村庄之助]](2代[[木村正直]])の弟子。[[1935年]][[1月]]場所に木村正義の名で[[初土俵]]。その後、木村正信時代の[[1961年]]11月場所、[[三役]]格行司に昇進。翌[[1962年]]1月場所、3代木村正直を襲名。立行司24代式守伊之助を襲名するまで16年間(96場所)も三役格行司を務めた。
 
本来ならば、[[木村庄之助]]も襲名できる地位にあったが、[[1971年]]末の[[行司]]の[[ストライキ]]後の抜擢制度も絡み、[[1974年]]1月に[[木村庄之助_(27代)|4代木村玉治郎]]が自身を追い越し[[立行司]]に昇格、23代伊之助を襲名。23代伊之助が27代木村庄之助に昇格した1977年11月場所で正直も立行司に昇格、24代伊之助を襲名するも結果的には行司抜擢制度の煽りを食らった形で伊之助止まりとなった。[[1984年]]3月場所後停年。伊之助在位4539場所は伊之助在位場所数としては[[木村庄之助_(281)|25代伊之助]](40場所)に次いで2位である。
 
正直時代には、投げの打ち合いで際どい取組になると、[[土俵]]に顔がつくほどに屈み込んで勝負の判定をすることがあり、その様が[[プロレス]]の[[レフェリー]]がカウントする所作に似ていたので、「プロレス行司」と呼ばれていた。
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