「カトリック香港教区」の版間の差分

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清と中華民国と台北遷都
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== 沿革 ==
* [[1841年]] - 4月22日、教皇庁は当時、[[阿片戦争]]で[[清]](現在の中国と戦っていた[[アイルランド]]籍英国軍人のために、'''香港[[使徒座知牧区]]'''を設置。
* [[1874年]] - 11月17日、知牧区から'''香港[[使徒座代理区]]'''へ昇格。
* [[1946年]] - 4月11日、教皇庁は中国に[[教階制]]([[ヒエラルキー]])を実施。香港使徒座代理区は'''香港教区'''に昇格、同時に中国のカトリック教会および[[広東省|広東]]教会管区の一員となる。香港教区初期の管轄範囲は香港、[[宝安県|宝安]]、[[海豊県|海豊]]および[[陸豊市|陸豊]]一帯を含んでいた。
* [[1912年]] – 清が滅亡し、[[中華民国]]が成立。
* [[1949年]] – 中華民国政府が大陸の統治を断念し、[[台湾]]に退避する。大陸では中華人民共和国(中国)が成立。その後、中国政府は[[宗教]]および[[政治]]にかかわる[[政策]]と[[法律]]を改め、教会を[[宗教的迫害|迫害]]。中国政府と[[香港政庁]]は相前後して[[国境]]を[[封鎖]]した。
* [[1952年]] – 中国政府は[[バチカン]]に対して一方的に[[外交関係]]を断絶し、[[反革命罪]]の名のもとに教皇庁駐中国[[大使]]の[[アントニオ・リベリ]]をはじめ、あらゆる外国籍[[宣教師]]を[[退去強制|国外追放]]した。かかる特殊な政治と社会状況において、香港教区および司教は宝安、海豊および陸豊一帯の教会業務を執行するすべがなく、加えて[[広州]]大司教区とも正常な関係を維持できなかったことから、特例として教皇庁直轄に変更となった。
* [[1997年]] – [[香港返還]]が行われ、「[[一国二制度]]」実施のもとに、香港のカトリック教会も中国司教団には加わらず、依然として教皇庁直轄の体制となっている。
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* 4代 – [[李宏基|ペトロ李宏基]] [[1973年]]~1974年
* 5代 – [[胡振中|洗礼者ヨハネ胡振中]] [[1975年]]~2002年
* 6代 - [[陳日君|ヨセフ陳日君]]([[サレジオ会]]) [[2002年]]~2009年
* 7代 - [[湯漢|ヨハネ湯漢]] [[2009年]]~現在
 
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