削除された内容 追加された内容
Amagiri (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
m 歴史用語は正しく。「支那」は支那自信が天竺に習ってつけた美称である。また歴代支那王朝や支那大陸の総称は支那しかありえない。「支那」を「中国」に置き換えているのは中華人民...
3行目:
 
== 日本陸軍 ==
[[大日本帝国陸軍]]において、[[日中戦争支那事変]]([[支那事変]])開戦以前の平時の[[内地]]における最大規模の部隊は師団のみであり、[[軍]]は[[編成]]されていなかった。海外領土には[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮軍]]・[[台湾軍 (日本軍)|台湾軍]]・[[関東軍]]・[[支那駐屯軍]]の各4軍があったが、これらは外地駐留の警備部隊であり規模も小規模なものであった(このうち常設師団を持つものは朝鮮軍のみであり、他は師団とくらべ規模兵力が特に大きかったわけではない)。軍は[[戦時]]([[有事]])に[[作戦]]に応じて編成されるものであり、日中戦争支那事変開戦以降、軍は増設され、その軍の上級部隊として複数個軍を統括する[[方面軍]]ないし相当部隊も新設された。
 
それら複数個方面軍等を統括し、中国方面を担当する最大の陸軍部隊として、[[1939年]](昭和14年)9月12日に総軍たる'''[[支那派遣軍]]'''(編成当初は[[北支那方面軍]]・[[中支那派遣軍]]を統括)を編成、なお、日本陸軍において総軍に相当する編制は[[日露戦争]]における'''[[満州軍 (日本軍)|満州軍]]'''において既に存在していたが、当時は方面軍が存在せず総軍(満州軍)が軍を直隷していた。