「シリアの歴史」の版間の差分

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[[ファイル:Omayyad mosque.jpg|thumb|[[ダマスカス]]の[[ウマイヤド・モスク]]([[7世紀]])]]
{{main|ウマイヤ朝}}
7世紀にはイスラム勢力が勃興し、イスラム圏に組み入れられた。[[ウマイヤ朝]]のもとでは[[ダマスカス]]が首都とされた。その後[[754年]]に樹立された[[アッバース朝]]は[[バグダード]]を首都としたため、シリア地方に転落した。しかし、バグダードからはシリアのダマスカスに通じる門と街道が整備された。その後[[10世紀]]には[[ファーティマ朝]]が支配するが、10世紀末の反抗運動により撤退した。その後中央アジアから[[トルコ系]]遊牧民が渡来し、[[セルジューク朝]]を樹立すると、シリアには[[シリア・セルジューク朝]]が成立した。その頃[[ヨーロッパ]]から[[十字軍]]が侵攻し激戦が展開され、[[アンティオキア]]を都に置く[[アンティオキア公国]]が建国された。[[1117年]]にシリア・セルジューク朝が滅亡すると、代わって[[アルトゥク朝]]が支配したが、[[1194年]]には[[アイユーブ朝]]が取って代わった。[[1260年]]に[[フレグ]]率いる[[モンゴル人]]がこの地を征服し({{仮リンク|モンゴルのシリア侵攻|en|Mongol invasions of Syria}})、[[イル汗国]]を建国した。その後シリアは[[エジプト]]の[[マムルーク朝]]の支配を受けることになった。北方で[[オスマン帝国]]が興隆し、マムルーク朝が滅ぼされるとシリアはオスマン帝国の支配を受けることになった。
 
=== トルコ系王朝 ===
==フランス占領期==
その後中央アジアから[[トルコ系]]遊牧民が渡来し、[[セルジューク朝]]を樹立すると、シリアには[[シリア・セルジューク朝]]が成立した。その頃[[ヨーロッパ]]から[[十字軍]]が侵攻し激戦が展開され、[[アンティオキア]]を都に置く[[アンティオキア公国]]が建国された。[[1117年]]にシリア・セルジューク朝が滅亡すると、代わって[[アルトゥク朝]]が支配した。
 
=== クルド系王朝 ===
[[1194年]]には[[アイユーブ朝]]が取って代わった。
 
=== モンゴル帝国 ===
[[1260年]]に[[フレグ]]率いる[[モンゴル人]]がこの地を征服し({{仮リンク|モンゴルのシリア侵攻|en|Mongol invasions of Syria}})、[[イル汗国]]を建国した。
 
=== マムルーク朝 ===
その後シリアは[[エジプト]]の[[マムルーク朝]]の支配を受けることになった。
 
=== オスマン帝国 ===
北方で[[オスマン帝国]]が興隆し、マムルーク朝が滅ぼされるとシリアはオスマン帝国の支配を受けることになった({{仮リンク|シャム・エヤレト|en|Damascus Eyalet|label=ダマスカス・エヤレト}})。
 
===フランス占領期===
{{main|フランス委任統治領シリア}}
[[ファイル:French Mandate for Syria and the Lebanon map en.svg|thumb|left|[[フランス委任統治領シリア]]]]
シリアは[[1941年]]にその独立を宣言した。しかしそれが一共和国の独立宣言として認識されたのは[[1944年]]の7月のことであった。[[1945年]]2月、シリアは[[ドイツ]]と[[日本]]に宣戦布告をした。シリアの民族主義者グループからのプレッシャーの継続および英国からの圧力は、[[1946年]]4月にフランスをして同国軍を撤退せしめ、委任統治時、結成された共和国政府が掌握した国家が遺された。
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=== 独立 ===
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==関連項目==
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