「カトリック教会」の版間の差分

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[[1054年]]の[[大シスマ]]による[[東西教会の分裂]]以前の教会で、[[ニカイア信条]]・[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]および[[カルケドン信条]]を信仰する教会([[アリウス派]]や[[単性論]]の対義語という意味。[[正統教義]]ともいう)を指して「'''[[カトリック]]'''」と呼ぶこともある。この場合は現在のカトリック教会と[[正教会]]を含む。ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの二つは排他的概念では無い事には注意が必要である。
 
また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持する[[東方典礼カトリック教会]]の諸教会があるほか、冒頭文にもあるように「カトリック」を自称・自認する教派は他にも[[東方典礼復古カトリック教会]]など[[復古独立カトリック教会]]などの諸教会があり、これらと区別する意味で'''ローマ・カトリック教会'''とも呼ばれる。{{Main|キリスト教諸教派の一覧#カトリック教会}}
 
東方典礼カトリック教会や復古カトリック教会などは日本国内には実質的に存在せず、また日本では[[カトリック中央協議会]]のほか各[[教区|司教区]]が「カトリック○○司教区」という法人名となっているので、一般的には「ローマ」を付けて「ローマ・カトリック教会」と呼ぶ必要はなく、日本のカトリック信者もただ単に「カトリック教会」と呼ぶことがほとんどである。しかし広義の「カトリック」であると自称する他のキリスト教の教派と区別する場合や、これら[[正教会]]・[[聖公会]]・[[プロテスタント]]など他の教派の信者・教徒からは、「ローマ・カトリック教会」と呼ばれることが多い。
 
== 教説・教義 ==
カトリック教会の教説(教え)は「[[聖書]]と[[聖伝]]」という言葉であらわされるように、[[旧約聖書]]、[[新約聖書]]および[[イエス・キリスト]]と[[使徒]]の教えに由来し、[[教父]]たちによって研鑽され、多くの議論を経て[[公会議]]などによって確立されてきたものである。[[使徒信条]]および[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条|ニケア・コンスタンティノープル信条]]を信条としている<ref>『[[カトリック教会のカテキズム]]』194,195 (p65) ISBN4877501010</ref>。特に[[宗教改革]]以降、[[トリエント公会議]]においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では[[第2バチカン公会議]]でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。
 
これらの教義は[[1992年]]に『[[カトリック教会のカテキズム]]』として[[ローマ教皇庁|教皇庁]]により編纂され、順次各国語に翻訳されている。これは、いわゆるローマ・カトリック教会だけでなく[[東方典礼カトリック教会]]の規範にもなっている。なお、[[イエズス会]]、[[フランシスコ会]]などはローマ・カトリック教会の組織内部の[[修道会]]であり、教義([[カテキズム]])については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などと呼んだりプロテスタントの各教派と同列に扱うのは誤りである。
なお、[[イエズス会]]、[[フランシスコ会]]などはローマ・カトリック教会の組織内部の[[修道会]]であり、教義([[カテキズム]])については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などの呼び方はプロテスタントの各教派と同列に誤解されるおそれがある。
 
===公会議===
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[[日本語訳聖書]]においても、かつてカトリック教会と[[プロテスタント]]諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『[[共同訳聖書]]』であり、表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会で公式に用いられている『[[新共同訳聖書]]』である。なお、『新共同訳聖書』では、上記旧約聖書の第二正典の部分を、これを正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称で掲載している。
 
現代のカトリック教会の[[ミサ]]の中では、[[主日]](土曜の夜から[[日曜日]]にか<ref name="shujitsu missa">主日のミサは、日曜日だでなく前日の土曜日の夜のミサも含む。</ref>)と教会祝日には、[[福音書]]朗読と福音以外の聖書朗読が二つの合わせて三つが朗読される。それ以外の平日のミサでは、福音書朗読と福音以外の聖書箇所の二つが朗読される。
 
=== 秘跡 ===
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なお、数字は『[[カトリック教会のカテキズム]]』(CCC)において説明がある箇所の項目番号をあらわすもので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと。
 
=== 奇蹟(きせき) ===
カトリック教会の公認、未公認、または非公認のあらゆる奇蹟がある。
{{main|[[聖母の出現]]、[[不思議のメダイ]]、[[列聖]]等}}
 
=== 教義についての他教派との関係 ===
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他方、[[エキュメニズム]](教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば[[日本聖書協会]]によって[[1987年]]に刊行された『[[新共同訳聖書]]』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に[[日本ハリストス正教会|日本正教会]]は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、[[2000年]]2月15日から[[日本聖公会]]と同じ「[[主の祈り]]」の日本語訳が使用されている<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/prayers/00lordpr.htm 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳]</ref>。
 
=== 奇蹟(きせき) ===
カトリック教会の公認、未公認、または非公認のあらゆる奇蹟がある。
{{main|[[聖母の出現]]、[[不思議のメダイ]]、[[列聖]]等}}
 
== 典礼 ==
[[ファイル:BentoXVI-51-11052007 (frag).jpg|thumb|150px|ブラジルでのミサにおける教皇ベネディクト16世]]
カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは、聖体祭儀の'''[[ミサ]]'''である。ミサの中で信者は[[聖体]]の秘跡を受ける([[聖体拝領]])。[[主日]](土曜夜から日曜日にかけて)<ref name="shujitsu missa" />と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としてのつとめであるとされている。
 
ミサ以外の重要な典礼行為として、「[[聖務日課]]」があげられ、修道院などで必ず行われている。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中でおこなわれる(かつて九時課、六時課、三時課とよばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。
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== カトリック教会への批判・論争、事件など ==
[[宗教改革]]以来、[[プロテスタント]]から、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承([[聖伝]])に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「[[秘跡]]」や「[[聖母マリア|マリア]]崇敬・[[聖人#キリスト教|聖人]]崇敬」(<ref>カトリック教会で、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、マリア「信仰崇拝」等と称するのは誤りである。</ref>」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したことや[[聖遺物]]崇拝、[[贖宥状]](免罪符)発行が批判されたが、[[対抗改革]]によって中止された。一方、改革の中で[[原理主義的]]姿勢が強まって「[[禁書目録]]」の作成がなされたが、このような動きは[[学問の自由]]や[[言論の自由]]を求める[[学者]]と衝突を招いた。
 
<!--カトリック教会を批判しようと、まことしやかに、歴史学的には正しくないお話が語られることがある。カトリック教会は、コペルニクスの地動説が書かれた『天球回転論』の出版を容認しており、人々に自由に読ませていた。この点、カトリック教会はおおらかであったのである。実は、地動説を最初に宗教的に批判したのは、プロテスタントのマルティン・ルターだった。<ref>ルターは『天球回転論』の出版の数年前に、地動説の内容の噂を聞いて次のように発言した(出典:高橋 憲一『コペルニクス・天球回転論』解説)