「ジョージ・ウォレス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Sngnisfuk (会話 | 投稿記録)
Sngnisfuk (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
{{Infobox officeholder
|name = ジョージ・コーレイ・ウォレス・ジュニア
|image = Wallacenasa-dropGeorge C Wallace (Alabama Governor).gifpng
|imagesize = 200px
|smallimage =
42行目:
 
== 人物 ==
アラバマ州出身。[[アラバマ大学]]を卒業し[[1962年]]に[[民主党 (アメリカ)|民主党]]からアラバマ州知事に当選した。このときウォレスが掲げた[[スローガン]]は「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」(''I say segregation now, segregation tomorrow, segregation forever'')という[[人種差別]]主義的なものであった。1963年、ウォレスは2人の黒人学生ジェームズ・フッドとヴィヴィアン・マローンの[[アラバマ大学]]入学を阻止するために、大学周辺を州兵で固めて自ら大学の門の前に立ちはだかった。これに対して時の[[ジョン・F・ケネディ]]大統領は、司法省幹部の[[ニコラス・カッツェンバック]]を特使として派遣し二人の黒人学生に付き添い、二人の入学を認めるよう求める大統領布告を読み上げて認めさせた。
[[File:Governor George Wallace stands defiant at the University of Alabama.jpg|thumb|250px|left|扉の前に立ちはだかるウォレスに対して大統領布告を読み上げる[[ニコラス・カッツェンバック]]]]
 
[[1964年]]、民主党の大統領候補者の指名争いに参戦したが敗退。[[1968年]]、当時の前アラバマ州知事だったウォレスは[[ジョン・F・ケネディ]]、[[リンドン・ジョンソン]]の2代にわたる民主党政権が推進してきた人種隔離廃止政策に反対し、[[公民権運動]]に不快感を持つ[[アメリカ合衆国南部|南部]]の[[白人]]層の代表として[[アメリカ独立党]]から大統領選挙に出馬した。この党は[[1948年アメリカ合衆国大統領選挙]]に[[ストロム・サーモンド]]を擁立した[[州権民主党]]の流れをくむもので、人種隔離政策の継続と公民権問題に関する[[アメリカ合衆国政府|連邦政府]]の介入排除を訴えていた。なお、サーモンドはこの時には既に転向しており、ウォレスに批判的な態度を取っていた。