「奥州探題」の版間の差分

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戦国時代にも幕府の形式的な職として存在し[[弘治_(日本)|弘治]]元年([[1555年]])には稙宗の子・[[伊達晴宗]]が奥州探題に任じられた。室町幕府滅亡後に当主となった[[伊達政宗]](晴宗の孫)も奥州探題を自称した。[[天正]]18年([[1590年]])、政宗は[[豊臣政権]]に臣従して奥州探題の称号を返上し、一方臣従を表明しなかった大崎氏は[[豊臣秀吉]]によって攻め滅ぼされた。これによって奥州探題制は名実ともに終焉した。
 
また、[[斯波家兼]]の子[[斯波兼頼]]は[[延文正平]]年間(1356~60)ごろに出羽国[[按察使]]として出羽に下向したという。後に[[羽州探題]]と呼ばれ、子孫は[[最上氏]]と称した。
 
== 関連項目 ==