「ルイス・フィリペ (ブラガンサ公)」の版間の差分

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[[1887年]][[3月21日]]、[[リスボン]]に生まれる。父親は[[カルルシュ1世 (ポルトガル王)|カルルシュ1世]]、母親は[[アメリー・ドルレアン|アメリア]]王妃である。
 
[[1908年]][[2月1日]]、ルイス・フィリペは父王カルルシュ1世や他の王族とともに馬車で[[コメルシオ広場]]付近を通りかかった時に[[急進主義|急進]]的[[共和主義者]]の民衆により襲撃され、カルルシュ1世は即死した。この時点で王位は長男であるルイス・フィリペが継承したことになるが、彼もまた襲撃された際に重傷を負い、約20分後に死亡した。すなわちこの、襲撃され負傷してから死亡するまでの約20分間が、ルイス・フィリペが王位に就いていた期間であり、20112014年時点で[[世界一の一覧#人|世界一]]王位に在位していた時間の短い国王である。
 
なお、在位期間が20分間と短い上、状況が状況であったために正式な即位式を経たわけでもないので、ルイス・フィリペを短時間ながら国王であったと見るか、王太子であり即位する前に殺害されたと見るか、意見は分かれるところである。一般には国王であったと見る論が有力であり、『[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネス・ブック]]』にも「もっとも即位していた時間が短い'''王'''」として記録されている。