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{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|2012年|ノーベル生理学・医学賞|成熟した細胞の[[リプログラミング]]により[[分化能|多能性 (pluripotency)]] を持たせられることの発見}}
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'''ジョン・バートランド・ガードン'''(Sir('''Sir John Bertrand Gurdon''', [[英国王立協会|FRS]], [[1933年]][[10月2日]] - )は、[[イギリス]]の[[生物学者]]。専門は[[発生生物学]]。[[ケンブリッジ大学]][[名誉教授]]。[[山中伸弥]]と2012年度[[ノーベル生理学・医学賞]]を共同授賞した。
 
== 経歴 ==
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オックスフォード大学入学当初は[[古典文学]]を専攻したが、入学担当者の手違いで理学専攻生枠が30名欠員となっており、生物学専攻への転籍に成功した。ガードンはこの転籍を「幸運な出会い」と後述している。大学院では[[昆虫学]]の研究で[[Ph.D.]]取得を目指したが却下され、核移植の研究を行うことになり<ref name="afp"></ref>、この研究が後のノーベル賞受賞研究へとつながる。オックスフォード大学での指導教授はマイケル・フィシュバーグ博士で核研究に関する手ほどきをフィッシュバーグから受けた。ガードンはフィシュバーグとの出会いに感謝している。
 
オックスフォードでPh.D取得後、[[ポストドクター]]として[[カリフォルニア工科大学]]へ移籍。フィッシュバーグから新しい分野の研究を行うよう助言を受け、カリフォルニア工科大学ではボブ・エドガー教授の下で[[ファジー]]研究を行った。しかしファジー研究は上手くいかず、1年後に[[胚]]研究へ戻る。しかしガードンカリフォルニア工科大学での研究上手く進まなかったが、未知の研究領域を探究したことで科学者としての見識が広まったとフィシュバーグとカリフォルニア工科大学へ感謝している。
 
フィッシュバーグが[[ジュネーブ大学]]へ移籍したことに伴ないオックスフォード大学クライスト・チャーチカレッジ動物学講座へ復帰し講師に就任(1962(1963年 - 1971年)。1971年にマックス・ペルツ[[ケンブリッジ大学]]教授からの招きで、同僚のロン・ラスキーと共にケンブリッジ大学へ移籍した。1972年に新設された[[MRC分子生物学研究所]]で研究を行い、1979年にMRC生物学部門長、1983年にケンブリッジ大学分子生物学講座教授、1989年ケンブリッジ大学ウエルカムトラスト/UKがんセンター・細胞生物学研究所(2004年、ガードンの研究上の功績を讃えてガードン研究所と改名された)を設立<ref name="afp"></ref>。
 
1971年に[[王立協会]]フェロー(FRS)に就任。生物学研究の功績により1995年に[[イングランド国王]]から[[ナイト]]の[[勲位]]を授与され“サー (Sir)”の称号を得る。1994年から2002年まで[[モードリン・カレッジ]]長を務めた
 
カエルの'''体細胞核移植'''により、'''[[クローン]]'''技術の開発に成功した。これがのちの[[ES細胞]]や[[iPS細胞]]に結びつくことになった。その先達としての業績で、2012年の[[ノーベル賞]]を受賞した。2004年には細胞生物学研究所がガードンの功績を讃えて、ガードン研究所と改称された。