「ジョン・ガードン (生物学者)」の版間の差分
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{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|2012年|ノーベル生理学・医学賞|成熟した細胞の[[リプログラミング]]により[[分化能|多能性 (pluripotency)]] を持たせられることの発見}}
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'''ジョン・バートランド・ガードン'''
== 経歴 ==
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オックスフォード大学入学当初は[[古典文学]]を専攻したが、入学担当者の手違いで理学専攻生枠が30名欠員となっており、生物学専攻への転籍に成功した。ガードンはこの転籍を「幸運な出会い」と後述している。大学院では[[昆虫学]]の研究で[[Ph.D.]]取得を目指したが却下され、核移植の研究を行うことになり<ref name="afp"></ref>、この研究が後のノーベル賞受賞研究へとつながる。オックスフォード大学での指導教授はマイケル・フィシュバーグ博士で核研究に関する手ほどきをフィッシュバーグから受けた。ガードンはフィシュバーグとの出会いに感謝している。
オックスフォードでPh.D取得後、[[ポストドクター]]として[[カリフォルニア工科大学]]へ移籍。フィッシュバーグから新しい分野の研究を行うよう助言を受け、カリフォルニア工科大学ではボブ・エドガー教授の下で[[ファジー]]研究を行った。しかしファジー研究は上手くいかず、1年後に[[胚]]研究へ戻る。
フィッシュバーグが[[ジュネーブ大学]]へ移籍したことに伴ないオックスフォード大学クライスト・チャーチカレッジ動物学講座へ復帰
1971年に[[王立協会]]フェロー(FRS)に就任。生物学研究の功績により1995年に[[イングランド国王]]から[[ナイト]]の[[勲位]]を授与され“サー (Sir)”の称号を得る。1994年から2002年まで[[モードリン・カレッジ]]長を務めた。
カエルの'''体細胞核移植'''により、'''[[クローン]]'''技術の開発に成功した。これがのちの[[ES細胞]]や[[iPS細胞]]に結びつくことになった。その先達としての業績で、2012年の[[ノーベル賞]]を受賞した。2004年には細胞生物学研究所がガードンの功績を讃えて、ガードン研究所と改称された。
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