「ジョン・ガードン (生物学者)」の版間の差分

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== 経歴 ==
英国の名門[[イートン・カレッジ]]卒業。しかしイートン校では何千匹もの[[毛虫]]を[[蛾]]にふ化させるなどして教師に嫌わ好かることは少なかった。15歳当時の[[通知表]]では「生物学分野への進学を考えているならば全くを持って時間の無駄である。そんな考えは直ちに放棄すべきこと。」と記された<ref name="afp">{{cite news |title=「生物学の道は諦めろ」と言われていた、ノーベル賞のガードン博士 |newspaper=AFPBB News |date=2012-10-09 |url=http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2906647/9653868 |accessdate=2012-10-14}}</ref>。イートン校の生物学クラスでは同級生250名の中で最下位。他の理系科目も最下位グループが定位置であった。父からは[[軍人]]か[[銀行員]]になるよう言われたが、[[英国軍]]の入隊検査に不合格となり[[クライスト・チャーチ (オックスフォード大学)|オックスフォード大学クライスト・チャーチカレッジ]]へ進学した。
 
オックスフォード大学入学当初は[[古典文学]]を専攻したが、入学担当者の手違いで理学専攻生枠が30名欠員となっており、生物学専攻への転籍に成功した。ガードンはこの転籍を「幸運な出会い」と後述している。大学院では[[昆虫学]]の研究で[[Ph.D.]]取得を目指したが却下され、核移植の研究を行うことになり<ref name="afp"></ref>、この研究が後のノーベル賞受賞研究へとつながる。オックスフォード大学での指導教授はマイケル・フィシュバーグ博士で核研究に関する手ほどきをフィッシュバーグから受けた。ガードンはフィシュバーグとの出会いに感謝している。