「御真影」の版間の差分

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日本が[[第二次世界大戦]]で敗れると、[[1945年]][[9月27日]]に[[昭和天皇]]がアメリカ大使館に[[ダグラス・マッカーサー]]を訪ねた際に、アメリカ陸軍の写真班によって昭和天皇とマッカーサーが並んで撮影された。この写真は政府により発禁処分にされたが、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)が撤回させて[[9月29日]]の新聞各紙の朝刊の紙面を飾り、昭和天皇がマッカーサーの隣に直立不動の姿勢で普通に新聞に写っていることは国民に大きな衝撃を与えた。
 
[[戦後]]には天皇の写真や映像はテレビや新聞にもよく見かけるが、[[戦前]]は新聞に載ることは少なかった(配達の際に写真部分が折られないよう、紙面配置に気を遣うことまで行なわれた)。日本では1950年代まで古新聞が落とし紙([[トイレットペーパー]])に利用されており、天皇の写真が掲載されている古新聞が落とし紙に使われることが[[不敬]]と考えられたためだとされる。
 
第二次世界大戦の敗北に伴う御真影の回収に当たっては、新たな御真影と交換するという前提で回収された。しかし、それ以後に新たな御真影を下付された学校は、[[1952年]]の秋田県の私立敬愛学園高校(現在の[[国学館高等学校]])だけである。