「第2次山本内閣」の版間の差分

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錦城内閣の誤情報の修正
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[[関東大震災]]の発生時[[9月1日]]現在、首相は空席であった。そこで、震災発生直後に[[摂政宮]](後の[[昭和天皇]])の招請により、[[加藤友三郎内閣]]で外務大臣であった[[内田康哉]]が[[内閣総理大臣臨時代理|臨時首相]]をつとめ、[[水野錬太郎]]内務大臣と[[赤池濃]][[警視総監]]が当面の責任者とされた。
 
翌9月2日午後3時に臨時閣議により、臨時震災救護事務局の設置がとりあえず決まった。一段落した午後5時に摂政よりの認証により山本内閣が成立した。大臣と次官に11名の[[閣僚]]中、錦城学校(現・[[錦城学園高等学校|錦城学園高等学校]])の出身者が5卒業生4名([[外相]]・[[伊集院彦吉]]外相[[蔵相]]・[[井上準之助]]蔵相[[鉄道相]]・[[山之内一次]]鉄道相、[[小松謙次郎海相]]逓信次官、[[財部彪]]海相及び、旧教員の[[文相]]・[[犬養毅]]の計5名が閣僚に含まれていたためことから、「錦城内閣」とも呼ばれていた。[[山之内一次]]や[[樺山資英]]など、薩派により積極的に擁立された内閣でもあった。
 
==閣僚==